起源・因習・テーマ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 14:40 UTC 版)
ルネサンスの(イギリスの)「復讐悲劇」の先駆であり、また強い影響を与えたものは、古代ローマの劇作家であるストア派哲学者でもあったセネカの作品で、その中でも、『テュエステース』(題材となったテュエステースも参照)がほぼすべてと言ってよい。この劇がローマ時代に上演されたかどうかは不明である。 エリザベス朝およびジャコビアン時代の劇作家たちは、復讐とともに、身の毛もよだつ、ブラック・コメディ的バイオレンスの詰まった劇を上演した。忠実に従ったわけでは決してないが、手本となったセネカの作品は「復讐悲劇」をはっきりと定義づけた。それは以下のようなことである。 人に知られない殺人、通常、悪人が善人の統治者を殺す。 犠牲者の亡霊が若い親類、主に息子のところに訪れる。 殺人者と復讐者がお互いに対して計画を進める中での偽装と策略。じわじわと死者の数が増える。 復讐者または支援者が本当のあるいは偽りの狂気に陥る。 最後にはバイオレンスの爆発。ルネサンス期には嘘の仮面劇や祭でそれが起こることが多かった。 復讐者を含め登場人物の多くが死んでしまうカタストロフ。 セネカのストア主義と政治的な経歴(セネカはネロの相談役だった)もルネサンスの復讐悲劇に反映されている。イングランド演劇では、復讐者はストイック(はっきりとではないが)かつ復讐をすることに葛藤した。この点では、イングランドの復讐悲劇の大きな主題的な関心は痛みの問題であった。政治的にイングランドの劇作家は宮廷の絶対的権力、腐敗、派閥争いといったテーマを掘り下げるため復讐という筋を使った。すべての関心は、セネカの劇がローマの政治に対してそうだったように、エリザベス朝後期とジャコビアン時代の政治に向けられた。
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