谷垣家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 18:48 UTC 版)
(京都府福知山市、東京都) 祖父・松次郎兵庫県黒井村(現:丹波市)の出身で、生家は小間物屋。父が早世して実家が没落。小学校を終えると、酒造見習いの丁稚となった。数えの19歳で京都府福知山に移り住み、呉服や素麺の行商から身を起こして、焼酎、味醂、清酒の製造を手掛け、1926年(大正15年)4月に数えの52歳で亡くなった。趣味や遊びは一切せず、商売に心血を注ぎ、学問を独学で続けた。味醂や酒の醸造に成功できたのも独学で醸造学を学んだからだった。 父・専一(農林官僚、政治家)松次郎の五男が専一である。福知山中学から第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部法律学科へ進む。1936年(昭和11年)、農林省に入省。満州国に出向し、そこで影佐禎昭の娘、安紀と見合いし、1944年(昭和19年)に結婚。翌、1945年(昭和20年)3月7日、長男誕生。奇しくも、影佐禎昭と同じ誕生日だった。専一は岳父の名から一字を取り「禎一」と名付けた。1958年(昭和33年)に農林省を辞職。農林中央金庫の監事になっていたが、福知山出身の芦田均元首相が死去したので、後任に地元の人が専一を衆院選に担ぎ出した。大平内閣で文部大臣になった。 母・安紀(影佐禎昭陸軍中将の娘) 弟・信行(谷垣禎一秘書) 妻・佳子2011年6月13日入院先の病院で死去。66歳。 二女あり
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