谷垣派の結成
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同年9月、加藤が派閥を離脱したため、会長に谷垣禎一を選出して谷垣派となった。少数派の結束力は強く、谷垣が2006年自民党総裁選に出馬する際も総裁候補派閥として一致結束して谷垣を支えた。 総裁選では最下位に終わったが、とりわけ国会議員票において想定以上の票を集めるなど、総裁選出馬には一定の意味があったとする見方が多い。総裁選後成立した第1次安倍内閣においては閣僚・党三役への登用はなく、外務大臣に留任した麻生太郎との処遇の差が際立つことになった。一方、衆議院議院運営委員長には谷垣側近中の側近の逢沢一郎が就任した。9月の第1次安倍内閣退陣後の2007年総裁選では谷垣自身の出馬が検討されたが、福田康夫が出馬を表明するといち早く派として支持を打ち出す。第1次安倍政権で冷遇されたことや、安倍と近い関係の麻生に反発する向きもあったため、谷垣派は福田支持で固まり、福田政権への流れを作った。続く党役員人事で谷垣が政調会長となり、主流派に返り咲いた。
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