谷垣執行部
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2009年9月29日、前日に自民党総裁に就任した谷垣禎一の下で国対委員長から転じて幹事長に就任した(後任の国対委員長には谷垣と同派閥の川崎二郎が就いた)。就任当初は鳩山由紀夫内閣の高支持率の前に国会運営でも押され気味で、与党の強行採決を許し、審議拒否戦術も結局は空振りに終わり、平将明ら中堅・若手議員からはテレビ出演時の大島の顔が「怖い」などと苦言を呈され、執行部の人心一新を求める声が絶えないなど苦境が続いた。しかし、翌年にかけて民主党の支持率が低下していく一方で、自民党は地方選挙で地道に勝利を収めていったため、求心力を維持した。7月11日、菅直人内閣の下で行われた第22回参議院議員通常選挙では、参議院一人区に的を絞った選挙戦術や公明党・平沼赳夫との選挙協力が奏功し、自民党が改選第1党となりねじれ国会をもたらす勝利を成し遂げた。 2010年9月9日に副総裁への就任が決定。参院選で勝利した大島の交代には異論があったが、若手からの世代交代論とのバランスを取る形で、副総裁への昇格という形が取られた(後任の幹事長は石原伸晃)。このため、選挙対策や国会対策の実務においては、引き続き大島の意向が強く働き、実際選挙準備や与野党協議を巡って大島の動きが報じられることが多かった。特に東日本大震災以後の与野党協力の気運の中で、民主党の実力者であった仙谷由人らと大連立を視野に入れた協議を断続的に行っていたが、首相辞任の可能性が高まる菅直人の問題が絡み実現には至らなかった。 2012年9月には副総裁を退任。新たに副総裁となった高村正彦と入れ替わる形で番町政策研究所会長となり、大島派が発足した。青森県出身者が派閥領袖に就任するのは平成研究会の津島雄二に続き2人目である。 2014年9月、自身二度目となる衆議院予算委員長に就任した。
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