論点となった条文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 17:57 UTC 版)
「サウジアラビア=アラブ首長国連邦国境」の記事における「論点となった条文」の解説
1992年、UAEはジッダ条約の条文、特にアブダビ領内にあるザララの20%の土地についての再交渉を希望した。サウジアラビアは1995年に初めて条約の内容を公開し、条約の第3条によりシェイバ油田はサウジアラビアに帰属し、共同開発は行わないと規定されていることを明らかにした。1999年3月に行われたシェイバー油田の落成式には、湾岸協力会議(GCC)各国の石油大臣が参加する中でUAEの石油大臣が出席しなかったが、これはUAEがジッダ条約の条文に長年不満を持っていることを示すためだった。サウジアラビア関係者によると、UAEのザイード大統領の長男のムハンマド・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーンは、2011年3月と4月にサウジアラビアを訪問し、アブダビ領内にあるザララ油田の20%の土地についての和解の希望の意思を伝えた。2011年8月15日、とあるUAE外交官が、UAEはジッダ条約の変更を希望し、主に第3条を変更して、ザララ/シェイバー油田で石油の共有を可能にすることを望んでいると述べたと報じられた。ザーイド大統領は1974年8月、UAEとサウジアラビアが石油を共有することで合意していると信じていたが、条約の条項にはこのことが含まれていなかった。 UAEはまた、「両当事者は、サウジアラビア王国の領土とアラブ首長国連邦の領土との間の海上の国境を可能な限り早く画定する」とした条約の第5条に対しても主張した。UAEによれば、この条項は、1969年のアブダビとカタールの領土協定や、2004年のUAE-カタールのドルフィン・パイプライン協定と矛盾する部分があるため、解決できないという。 UAEは最後に、国際企業が現在の両国の境界を反映した公式地図を作成することを定めた条約の第6条に真っ向から反対した。UAEは、ジッダ条約に準拠していない古い地図を使い続け、2009年までホール・アル・ウダイドとザララ油田の位置をUAE領としていた。2009年8月には、UAE国民がサウジアラビアに入国しようとしたとき、保持していた身分証明書に描かれた地図が旧版のものであることから、国境で追い帰されるという問題が発生した。 ワシントン近東政策研究所(英語版)は、1974年のジッダ条約は、国際法上の有効性に疑問があるとしている。この条約は、それを有効にするための重要なステップである、UAEの連邦国民評議会(立法府)による公表や批准がなされていないためである。また、この条約によりUAEとの国境がなくなることになるカタールは、交渉に参加していない。
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