説三分の流行とは? わかりやすく解説

説三分の流行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 03:04 UTC 版)

三国志演義の成立史」の記事における「説三分の流行」の解説

宋代都市経済文化大い発展し、特に北宋首都開封南宋首都杭州臨安)の瓦市盛り場)では、勾欄呼ばれる寄席見せ物小屋で、様々な講談説話)が語られた。中でも特に「説三分」と呼ばれる三国ものが人気であり、当時開封盛況記した東京夢華録』には「説三分専門講釈師として「霍四究」などの名が書き留められている。北宋末を舞台にした小説水滸伝でも、李逵燕青登場人物開封上京した際、勾欄三国語り聞く場面がある。講談には何日にも分けて興行される長篇ストーリーもあり、客の興味引きつけるため、話が盛り上がる場面で続きはまたの日に」と終了して翌日以降に再び聞き来させる手法用いられた。この手法は後に『演義』毛宗崗本の文章で復活し各回(章)の末尾次回期待させる「且聴下文分解次回に続く)」などの文句埋め込まれた。 赤壁の戦いについて詠んだ赤壁賦』で有名な詩人・蘇東坡は『東坡』の中で「子供たちがうるさい時は銭を与えて講釈師呼び、座らせて三国物語聞かせると、劉備負けた聞いて涙を流し曹操負けた聞く大喜びする」と記している。当時三国志物語話芸題材としてポピュラーであったこと、三国を語る芸人多くいたこと、劉備善玉曹操悪玉という評価定まっていたことなどがうかがえる

※この「説三分の流行」の解説は、「三国志演義の成立史」の解説の一部です。
「説三分の流行」を含む「三国志演義の成立史」の記事については、「三国志演義の成立史」の概要を参照ください。

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