説の統一と完成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 07:35 UTC 版)
フランス学士院は1812年、カロリック説の中のアーヴィン流とラプラス流の対立を解決すべく、気体の比熱に関しての懸賞論文を募集した。そしてそれに採用されたドラローシュとベラールの共同論文によって決着した。アーヴィン流では、発熱反応では反応前の熱容量よりも反応後の熱容量の方が小さくならなければならないが、ドラローシュとベラールの実験では、それとは逆の結果が得られたのである。よって、以降はラプラス流のカロリック説が主流となった。 ラプラスは、1823年の著書『天体力学』において、 私は、気体の分子はその引力によって熱素を保持し、その相互間の斥力は熱素の分子の斥力に負うと仮定する。その斥力は、温度が上昇するさいの気体の弾性の増加から明らかである。そして私は、その斥力はきわめて短い距離でしか作用しないと仮定する。 と記し、この前提のもとに、実際の測定結果に合うよう、カロリック説の理論を作り上げていった。また同じ時期にポアソンも、断熱変化の研究からポアソンの法則を導き出すなど、ラプラスと同様に解析的熱量学を発展させた。 1824年、ニコラ・レオナール・サディ・カルノーは『火の動力』を著し、カロリック説を元にカルノーサイクルを提示した。そして、『熱の動力は、それをとりだすために使われる作業物質にはよらない。その量は、熱素が最終的に移行しあう二つの物体の温度だけで決まる。』という、カルノーの定理を発見した。これらの理論の多くは、カロリック説が否定された現在でも有効である。ラプラス、ポアソン、カルノーの研究が、カロリック説における熱学の到達点であった。
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