説の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 07:35 UTC 版)
アントワーヌ・ラヴォアジエもまた、熱物質説をとった科学者であったが、フロギストン説には疑問を感じていた。彼は、金属を燃焼すると質量が増すという実験結果などを元に、当時まで信じられてきたフロギストン説を否定した。そして、物質の燃焼において中心的な役割をするのは、物質に含まれるとされていたフロギストンではなく、空気中に含まれる酸素であると提唱した。その一方でラヴォアジエは、酸素は、現在考えられているような酸素分子ではなく、「酸素の基」と「火の物質」から成るものであると考えていた。そしてこの「火の物質」は、後にカロリックと呼ばれた。 ラヴォアジエの熱理論は1777年に発表され、カロリック(フランス語:calorique)という語は1787年にギトン・ドゥ・モルヴォとの共著『化学命名法』においてはじめて登場した。この理論は1789年の著書『化学原論(英語版)』によって完成され、同書に掲載されている元素一覧でも酸素や水素などと並んで、光素と熱素が記されている。ラヴォアジエは、それまで同一視されてきた光、火、熱を分離し、光は光素、火は酸素、そして熱は熱素によるものだと捉えたのである。このカロリック説は、ラヴォアジエがその後功績を積み重ねてゆくにつれて、多くの科学者に認められるようになった。
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