熱の波動説の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 07:35 UTC 版)
カロリック説を前提とした熱現象の理論構築が進められていく一方で、18世紀の終わりごろから、熱放射に関する研究が盛んになっていた。熱の伝わり方としては伝導、対流、放射の3つがあるが、熱放射は熱伝導や対流とは異なり、離れた2点間に直接熱が伝わる。この現象に関しては、カロリックが物体から直接放射されることによって熱が伝わっているとする説と、物体の間にあるカロリックが振動することで伝わっているという2つの考え方があり、その中でも前者が多くの支持を得ていた。 一方でこの熱放射に関しては、古くから光との類似性が指摘されていた。そして1800年、ウィリアム・ハーシェルは太陽光をプリズムで分け、波長ごとの熱作用の力を調べる実験を行った。その結果、青色の波長から赤色の波長へと近づくごとに熱は強くなり、さらに赤色の波長を越えたあたりに熱は最大になること(赤外線)が確かめられた。この実験により、放射熱と光の類似性は確かなものとなった。 ハーシェルの実験に着目したのがトマス・ヤングだった。ヤングはハーシェルの実験と同じ年に、光の波動説を唱えた。さらにヤングは熱に関するランフォードの研究に賛同し、熱は摩擦によって無から生み出されるのだから物質ではないとした。そして熱は光や音と同じように、粒子の振動によって伝わってゆくものだと論じた。 当時、光については、この波動説と、ニュートン、ラヴォアジエからの流れをくみ、ラプラスらによっても支持された粒子説が対立していたが、1820年代には波動説が優勢となり、1830年ごろにはその優位は決定的なものになっていた。そしてそれに伴って、熱波動説も支持されるようになってきた。ゲイ=リュサックも1820年の講義で、熱の原因はカロリック説と波動説があることに触れたが、波動説はまだすべての熱的現象を説明できていないため、自身としては旧来のカロリック説を維持すると述べた。一方でカルノーは、『火の動力』執筆後まもなくに書かれたノートでカロリック説を否定し、熱の運動説へと傾いていた。またジョゼフ・フーリエは、1822年に著書『熱の解析的理論』にて熱伝導の方程式などを導いたが、そこでは熱の本質を断定せず、どちらの説でも成り立つように理論を構成した。
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