誕生から開戦まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 22:15 UTC 版)
「ハンス=ウルリッヒ・ルーデル」の記事における「誕生から開戦まで」の解説
ルーデルは1916年7月2日、プロイセン王国東部・ニーダーシュレージエンのコンラーツヴァルダウ(Konradswaldau)で生まれた。父のヨハネス・ルーデルはルター派教会の牧師であり、その地域の教区長を務めていた。また、インゲボルク(Ingeborg)とヨハンナ(Johanna)という2人の姉がいた。8歳の頃に母親(マルタ・ルーデル)からもらったパラシュートの玩具で遊んでいる内に空を飛ぶことに興味を持ち、パイロットを目指し始めた。この時期には父の任地変更のため転校が度々あった。ラウバン(現ポーランド領ルバン)の人文系ギムナジウムに通ってアビトゥーアに合格した後、1936年12月に士官候補生としてベルリン近郊ヴィルトパーク・ヴェルターのドイツ空軍学校に100倍の競争率を突破して入学。戦闘機乗りを希望していたが卒業前に学内で流れた「卒業生は全員爆撃隊に編入されることになる」という噂と、卒業間近にバルト海沿岸の高射砲学校を訪れた際に、偶然その場に居合わせたゲーリングの「われわれは、新編成のシュトゥーカ爆撃隊のため、多くの青年将校を必要としている」という演説を聞かされたことですっかり噂を信じ込み、急降下爆撃隊に志願している。しかし実際には、卒業生のほとんどが希望した戦闘機隊に配属された。1938年6月にグラーツの第168急降下爆撃航空団第I飛行隊(I./Stuka-Geschwader 168、I./StG 168)に配属されることとなった。しかし、偵察隊に転属することになり、偵察機のパイロットとしてヒルデスハイムの空軍偵察訓練校で偵察写真撮影航法の訓練を受け、1939年1月に第121長距離偵察飛行隊(Fernaufklärungsgruppe 121、FAGr 121)に転属している。自伝によれば、これはStG 168の中隊長が“偏屈者”の厄介払いの為に転属させたのだと述べている。
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