誕生から青年期にかけて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 22:12 UTC 版)
京都の呉服屋に生まれる。3歳の時、父親の仕事の都合で東京・日本橋芳町に転居。桂三木助(3代目)が贔屓だった父親に、自宅から歩いて2分ほどの人形町末廣によく連れていかれた。12歳の時に京都に戻り、朱雀高校入学。父親の横浜出店に伴い横浜山手町の洋館に引っ越し、東京都立九段高等学校に通う。 (京都の朱雀高校合格が決まった直後に横浜に越すことになり、神奈川県立の緑が丘高校やら希望ケ丘高校やらのフリーパスの編入先を蹴って、東京の九段高校の編入試験をうけた。) 早稲田大学第一文学部文学科フランス文学専修進学。高校から大学にかけて、学生紛争の論客として鳴らす。早大在学中は、早稲田大学新聞会に所属した。一方で教会、禅寺などをめぐり、量子力学と民俗学に関心を寄せ、様々な思索にふける。 大学4年の時に父親が多額の借金を残して死去したため、やむなく早大を中退。広告会社に勤め、営業活動のかたわら、高校生向けのタブロイド版の新聞『the high school life』を創刊。この時期、編集活動を通じて、稲垣足穂、土方巽、寺山修司、唐十郎、鈴木忠志、宇野亜喜良、横尾忠則らと親交を深める。とくに早稲田の先輩でもあった寺山修司からは『the high school life』の活動について「東京のヴィレッジ・ヴォイスである」と評された。
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