誕生から軍人時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 08:11 UTC 版)
「プラボウォ・スビアント」の記事における「誕生から軍人時代」の解説
1951年10月7日にジャカルタに誕生する。経済学者でありスカルノ及びスハルト政権で産業貿易大臣や国務大臣などを歴任したスミトロ・ジョヨハディクスモ(インドネシア語版)を父とし、その父はインドネシア国立銀行(英語版)の初代総裁のマルゴノ・ジョヨハディクスモ(インドネシア語版)という、インドネシア屈指の名家で1951年に生まれた。父が商業大臣を務めていた1970年に、インドネシア国軍士官学校に入学した。スシロ・バンバン・ユドヨノと同期であったが、ユドヨノより1年遅れで1974年に卒業した。 卒業後はインドネシア陸軍[要リンク修正]に入隊し、1976年には特殊部隊コパスス(英語版)の小隊長として東ティモール併合作戦に参加し、東ティモール独立革命戦線の武力弾圧を指揮している。1978年にプラボウォの小隊が独立革命戦線最高指導者のニコラウ・ロバト(インドネシア語版)を射殺したことにより、軍事的な制圧は一気に進展した。1983年にスハルトの次女であるシティ・ヘディアティ(インドネシア語版)と結婚し、スハルト・ファミリーの一員となると、政治的な影響力を持つようになった。1992年には、陸軍戦略予備軍(英語版)の空挺部隊長として指揮を取り、東ティモール民族解放軍司令官のシャナナ・グスマンを反逆罪で捕え、軍内部での評価が高まった。
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