陸軍戦略予備軍
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ムルダニの RPKAD から KOSTRAD への異動は突然のもので、異動先に彼の地位は何も用意されていなかった。最初は作戦訓練局に属する士官として配属された。彼の運が変わったのは、アリ・ムルトポ中佐が彼を KOSTRAD の一員であると見抜いた時だった。ムルダニは西イリアン作戦でムルダニのことをよく知っていたので、彼の潜在能力を認め、それをさらに伸ばしたいと考えた。その当時のアリは第1戦闘指揮団(マレーシアの侵攻に備えるためスマトラに駐屯していた KOSTRAD 部隊)の情報担当補佐官だった。アリはムルダニを引き抜いて、情報担当次席補佐官に任命し、ムルダニに初めての情報畑の仕事を与えた。 情報担当次席補佐官に任命されたのに加え、アリの特殊工作班 (Operasi Khusus, 略称 Opsus) の情報部の一員にもなった。彼の任務は、バンコクでガルーダ航空の航空券販売業者を装って、マレーシア情報を収集することだった。1965年当時、陸軍内にはスカルノのマレーシア対決政策に批判的な将校らがいて、彼らは秘密裏にマレーシア側と連絡を取り合い、平和的な解決を目論んでいた。ムルダニは彼らから提供される情報を発送する仕事も担当することになった。 1965年10月1日、9月30日運動が KOSTRAD 司令官スハルト少将によって鎮圧されると、ムルダニの活動も多忙になった。アリとともにマレーシア対決政策を終結させるための下準備に取りかかり始めた。二人の努力は実を結び、1966年8月11日、インドネシアとマレーシアの両政府は両国間の関係の通常化に合意した。
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