職業軍人としてのキャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 18:39 UTC 版)
「スハルト」の記事における「職業軍人としてのキャリア」の解説
日本軍政期には、1943年、軍政当局が組織したペタ(郷土防衛義勇軍)に採用される。そこでも小隊長、中隊長へと昇進し、インドネシア人士官の訓練にもあたった。 インドネシアは日本が降伏した2日後の1945年8月17日にスカルノにより独立を宣言し、ペタは8月19日付けで解散したが、降伏した日本に代わって植民地支配の復活を狙ったオランダとの間で独立戦争がやがて始まる。この時期、オランダに抵抗する正規・非正規の軍事組織が多数発足したが、スハルトは同年9月に組織された正規軍に参加し、ペタ時代の実績を買われて副大隊長に選ばれた。翌10月に共和国軍が正式に発足すると、大隊長に任命された。このインドネシア独立戦争中、スハルトは野戦指揮官としての評価を高めた。なお、この時期、1947年、スラカルタ下級貴族の出のシティ・ハルティナ(通称 ティエン)と結婚している。 そして陸軍で実績を重ね、インドネシア独立後もオランダの支配が続いていた西イリアン(ニューギニア島)解放(侵攻)作戦で活躍し、1963年に陸軍戦略予備軍の司令官に就任した。
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