解脱の段階(九段階)について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 06:09 UTC 版)
「撒餌経」の記事における「解脱の段階(九段階)について」の解説
この経では、第一禅から第四禅にいたり、そののち、まだいくつかの解脱の実現があり、九段階目で想受滅の境地にいたるとされている。他の経文において悟りについて述べた部分では、おおよそ、第四段階の禅定ののちに第三の明知に目覚め、悟りに至るとされている。しかし、この経では、第三の明知についてまでは言及されておらず、第四段階の禅定ののちに、さらに四つの解脱の段階を経たのちに想受滅に至る、というところで終わっている。この経の無所有処や非想非非想の思想については、他の、最古層に属する経典の一部にも、それぞれ、仏説として述べられている思想であるとされる。 この経の説く各段階においてゴータマは、いずれの段階も、マーラを盲目にし、マーラの眼を根絶し、悪魔が見えないところに行った修行僧の住するところであるとしている。 第一段階から第四段階 解脱の第一段階から第四段階までは、悟りにおける第一禅から第四禅までの部分が、あてはまっている。 第五段階 空無辺処の境地 あまねく外界の想念を超え、内界の想念をなくし、さまざまな想念を思うことがないゆえに、空間は無限であるという境地を実現して住む。外界から内界に向かってゆく想念と、内界から外界に向かってゆく想念とがあり、その想念の動きを超えたり、止めたりするところに、空間(物質的な宇宙)の無限を体感し、そこに住する境地に至ることができるとされている。 第六段階 識無辺処の境地 あまねく空無辺処を超えて、意識は無限である識無辺処の境地を実現して住む。物質的な宇宙の無限を体感する境地を越えて、意識の無限(過去現在未来にわたるすべての衆生の総和としての無限と思われる)を体感できる境地に到達するとされている。 第七段階 無所有処の境地 あまねく識無辺処を超えて、無所有処を実現して住む。 第八段階 非想非非想の境地 あまねく無所有処を超えて、非想非非想処の境地を実現して住む。 最後の段階 最後に想受滅という境地に至るとされているが、これは無余の涅槃に近い境地のようである。想受滅の境地というのは、執着を渡り超えた境地であるとされる。修行者は、あまねく非想非非想処を超えて、想受滅の境地を実現して住む。智慧によって見、かれの煩悩は滅尽している、とされている。そこには、衆生も如来も慈悲も無いようであるから、マーラの眼を根絶し、悪魔が見ないところの究極であると思われる。 ゴータマによってこの経が説かれた集団は、解脱や衆生の抜苦与楽ではなく、想受滅を追及していた集団だったのではないかということが考えられる。 また、全体的な傾向として、無余涅槃を求める出家者に、慈悲の教えを説かなかったのは、そうした修行者に対して、対機説法をおこなっていたためであると思われる。有余涅槃と無余涅槃では次元が異なるため、無余涅槃を求める修行者には、慈悲の実践というものは、理解されないと考えられる。
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