被害者親族犯人説と名誉毀損裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 23:52 UTC 版)
「丸正事件」の記事における「被害者親族犯人説と名誉毀損裁判」の解説
「正木ひろし」も参照 鈴木一男の姉から相談を受けた正木ひろしの紹介で、控訴審から弁護人になった鈴木忠五(三鷹事件の一審裁判長)と、控訴棄却後に弁護に加わった正木は、書面審理でほとんどが上告棄却となる最高裁段階での非常手段として、被害者の親族3人が真犯人であると上告趣意補充書に記すとともに記者会見を開いて公表した。これはプライバシーの概念が薄かった当時としても異例の出来事であった。 親族を犯人だとする主な理由は以下の通り。 解剖写真に写る鼻血の跡から、被害者は殺害されたとき仰向けだったと考えられ、トラックの応対に出た店頭ではなく就寝中の殺害である。 同居の親族が事件に気付かなかったのは不自然である。 その親族と被害者は、遺産相続を巡って感情的軋轢があった。 強奪されたはずの預金通帳が実家から発見された。また、それを見た被害者の母(犯人扱いはされていない)が「死んでしまいたい」と嘆いた。 後から現場に来た親族の1人は、その前に変更されていて知るはずのない発見直後の被害者の態様を、警察の事情聴取で述べている。 2弁護士は親族3人を東京地検に殺人罪で告発するとともに、上告趣意補充書の内容を単行本『告発―犯人は別にいる』として出版した。しかし親族3人への告発は不起訴となり、検察審査会が不起訴不当の議決をしたが、検察は不起訴の結論を変えなかった。逆に親族からの告訴を受け、正木ひろしと鈴木忠五を名誉毀損罪で起訴した。 この裁判は全国から数十人の弁護士が駆けつけたり、推理作家の高木彬光が特別弁護人になるなどして「事実上の再審」として注目を集めた。 1965年5月、東京地裁は「真犯人の立証は不十分であり、弁護人は正当な弁護活動を逸脱した」として名誉毀損罪を認定し、2弁護士に対し禁錮6ヶ月執行猶予1年の判決を言い渡した。2弁護士は控訴をするも、1971年2月に東京高裁は控訴棄却。 1975年12月6日、正木ひろしが上告中に死去したため、公訴棄却となった。 鈴木忠五については、1976年3月23日に最高裁が上告を棄却、被害者親族3人を真犯人としたことは立証不十分として有罪が確定。有罪確定によって鈴木忠五は弁護士資格を6ヶ月剥奪された。
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