衆議院議員、選挙違反
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1979年の第35回衆議院議員総選挙に新自由クラブ公認で千葉1区から立候補したが次点で落選。落選したのはエスエス製薬の社員の努力が足りなかったからだとして、関連会社の部長だった運動員を係長に格下げするなど非常な人事を実行した。 泰道は新自由クラブに見切りをつけて自民党に接近。選挙後入党の約束の下に、自民党県議の吉原鉄治らの支援を受けながら、1980年の第36回衆議院議員総選挙に無所属・新自由クラブ推薦で立候補。系列会社の社員を総動員して、手当たり次第に戸別訪問させて、エスエス製薬の薬箱やジュース、またはウィスキーなどを配った。「泰道派の運動員です」と電話を借り5千円を置いて帰ったり、トイレを借りては1万円をお礼したりなど派手に買収工作を行った。その結果、13万余票を集めトップで初当選した。 しかしにわか仕立ての社員運動員を使いすぎたため、訪問先が他派の幹部宅や巡査の家だったことに選対事務局は気が付かなかった、密告が相次ぎ、泰道が入党した途端に大規模な検挙が始まった。運動員は計103人が逮捕された。吉原は責任を取らされ、自民党県連幹事長を辞任した。泰道は1983年の解散まで議員職を全うした。党内では宏池会に所属した。 衆議院商工委員会委員、衆議院大蔵委員会委員、自民党青年局次長、自民党国際局次長、自民党国会対策委員会副委員長、自民党財政部会委員などを歴任。1981年、医療法人千葉病院監事。1982年、千葉交響楽団協会会長、市川交響楽団協会会長。1983年、エスエス製薬代表取締役に就任。 1983年の第37回衆議院議員総選挙は自民党公認で立候補するが、候補者8人中7位で落選した。 1987年、株式会社コスモ総合研究所を設立。代表取締役社長就任。同年、コスモバンカーズ投資顧問株式会社(現在のプライオール投資顧問)を設立。1989年、エスエス製薬代表取締役会長に就任。 1995年自らが理事長を務めるコスモ信用組合が経営破綻、東京都によって業務停止命令が出され経営責任を取り辞任。破綻の責任を取り、全ての役職を辞任。
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