血脈桜伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/30 14:50 UTC 版)
江戸時代には松前藩と本州との間で交易が盛んであり、この時期にマツマエハヤザキが松前に持ち込まれたか、持ち込まれた母樹から松前で新たに誕生したと考えられているが、血脈桜には、次のような伝説も残されている。 昔、松前の城下で鍛冶屋として働いていた柳本伝八という人物が、隠居後に娘の静枝を伴って上方見物に旅立った。江戸を経て伊勢神宮に参拝し、京の都や奈良を巡って吉野にたどりついた。折しも吉野はサクラが満開で、伝八親子はしばらくこの地に逗留することに決めた。親子はこの地で、近くの尼寺に住む美しい尼僧と懇意になった。伝八親子がいよいよ故郷の松前に帰る日が訪れたとき、尼僧は親子との別れを惜しんで1本のサクラの苗木を吉野の土産にと贈った。帰郷後に伝八親子は、菩提寺の光善寺にこの苗木を寄進した。苗木は立派なサクラの木へと成長し、やがて見事な花を咲かせるようになって光善寺を訪れる人々を喜ばせた。月日は流れ、光善寺十八世穏誉上人の時代に本堂を立て直す話が持ち上がり、改築の支障になるこのサクラを伐採することに決まった。明日はいよいよ伐採という日の深夜に、美しい娘が上人のもとを訪れた。娘は「私は近々死ぬ身の上です。どうか血脈(法脈を示す系図で極楽への手形といわれる)をお授けください」と懇願した。上人は娘の熱心な願いにほだされて、血脈の証文を授けることにした。翌日の朝、サクラの木の枝に何かが揺れているのを上人は目にした。よく見ると、それは昨晩娘に授けたあの血脈の証文だった。上人は「さては昨晩の娘さんは、この木の精であったか」と悟り、伐採を取りやめて娘とサクラの木のために懇ろな供養を執り行った。上人のもとに現れた娘については、静枝の霊であったともいわれる。それ以来、このサクラは「血脈桜」の名で呼ばれるようになった。
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