虹澗橋とは? わかりやすく解説

虹澗橋

名称: 虹澗橋
ふりがな こうかんきょう
名称(棟):
名称(ふりがな):
番号 2376
種別1: 近世以前/その他
国宝重文区分 重要文化財
指定年月日 1999.12.01(平成11.12.01)
員数(数): 1
員数(単位):
代表都道府県 大分県
都道府県 大分県臼杵市野津町大字西畑豊後大野市三重町大字菅生
所有者名:
指定基準 (二)技術的に優秀なもの
管理団体名:
管理団体住所
管理団体指定年月日
構造形式 石造アーチ橋高欄
時代区分 江戸後期
年代 文政7(1824)
解説文: 虹澗橋は,大分県南部のほぼ中央野津町三重町の境を流れ大野川水系三重川架かる石造アーチ橋である。地元豪商三人架橋決意し石工大野織平の設計により,文政4年(1821)1月起工,同7年(1824)6月竣工した
 長31.0m,幅員6.1mの規模で,アーチ径間25.1m,ほぼ半円形をしている。渓谷岩盤基礎地盤とし,躯体及び高欄には,大野川水系採取容易な阿蘇熔結凝灰岩用いている。
 虹澗橋は,建設当時石橋として日本一径間長を誇っていた。それまで九州において小規模にまってい石橋架設技術的限界脱したものであり,19世紀中期以降,大分・熊本中心に建設され石造アーチ橋原点位置づけられる。
重要文化財のほかの用語一覧
近世以前(その他):  般若寺十三重塔  船屋形  薬王院五輪塔  虹澗橋  西明寺宝塔  西蓮寺相輪?  覚勝院宝篋印塔

虹澗橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 03:34 UTC 版)

虹澗橋(こうかんきょう、こうかんばし[1])は、大分県豊後大野市三重町菅生と臼杵市野津町大字西畑の間の大野川水系三重川に架かる石造アーチ橋[2]。通称、柳井瀬橋[3]。国の重要文化財に指定されている[2]。また、日本百名橋にも選定されている。


注釈

  1. ^ 「澗」の門構えの中は「日」であり、門構えの中が「王」で潤うという意味の「潤」とは異なる字である。

出典

  1. ^ 橋めぐりにしひがし 大分県の巻 (PDF) 」 『虹橋』No.36、社団法人日本橋梁建設協会、1987年1月、 11-17頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 虹澗橋 - 文化遺産オンライン文化庁
  3. ^ a b c 特集 大分“光”ものがたり 大分の石造り眼鏡橋”. nototo. 西日本電信電話株式会社 (1999年). 2007年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月5日閲覧。


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