著作集刊行と遺稿発見とは? わかりやすく解説

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著作集刊行と遺稿発見

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/28 09:14 UTC 版)

久山秀子」の記事における「著作集刊行と遺稿発見」の解説

覆面作家として「女性探偵小説家久山秀子」を演じた期間が長く男性であることが明かされてからも経歴不明のままだったため、長い間本名生没年すらもはっきりしない状態にあった中島河太郎は、生年月日平凡社現代大衆文学全集にしたがって1905年明治38年5月1日とした上で本名当初片山襄」、のちに「芳升」に訂正本職は「横須賀海軍経理学校勤めた国語教官であったとしていた。細川涼一は、久山の勤務先に関する中島記述海軍兵学校江田島)→海軍機関学校舞鶴)→海軍経理学校築地)と変化していることを指摘した上で三学校の所在地はいずれ横須賀ではないことを指摘している。 生前刊行され著書は『日本探偵小説全集 16 浜尾四郎久山秀子集』(改造社1929年)のみで、これも浜尾四郎との合集であったその後長らく著作がまとめられることはなかったが、2004年平成16年)、初の単著かつ著作集となる『久山秀子探偵小説選』I・IIが、横井司監修のもと、論創社論創ミステリ叢書より刊行された。 同書が『読売新聞2004年11月17日夕刊紹介されると、当時、「読売歌壇」の撰者であった清水房雄が、同紙に対して、久山(芳)が土浦海軍航空隊での同僚だったことを申し出た。さらに、そのエピソードが同紙2005年1月11日夕刊紹介されると、それを読んだラ・サール高校元生徒から読売新聞社文化部連絡があり、天理教南国教会に久山の遺稿大量に残されていることが判明した。その中には久山の履歴書含まれており、それまで不明だった経歴多くが明らかとなった2006年平成18年)、遺稿新発見された作品からなる久山秀子探偵小説選』IIIIV刊行された。

※この「著作集刊行と遺稿発見」の解説は、「久山秀子」の解説の一部です。
「著作集刊行と遺稿発見」を含む「久山秀子」の記事については、「久山秀子」の概要を参照ください。

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