著作集刊行のいきさつ
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1987年頃から著作集の刊行を企図、清水の弟子筋が尽力したが、岩波書店はもとより、中央公論社、文藝春秋社なども引き受けず、1987年末に新評論からの刊行が決定したが、仲介に尽力したのは清水の弟子の読売新聞記者である。1988年3月末に5月25日発売予定の『清水幾太郎集』全11巻の予告パンフレットができたが、まもなく清水は倒れて緊急入院したが、新評論からの著作集刊行は中止される。竹内洋が「ある編集者」から聞いた話によると、娘の清水礼子が新評論の編集に不満だったという。結局、著作集は『清水幾太郎著作集』全19巻として、1992年〜1993年に講談社から刊行されたが、早くから絶版。
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