茶馬古道とは? わかりやすく解説

茶馬古道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 22:06 UTC 版)

茶馬古道(濃い赤線)
茶の運搬。1908年、四川省。

茶馬古道(ちゃばこどう)とは、雲南省で取れた磚茶)をチベットおよびで運んだことから名付けられた交易路である。7世紀吐蕃の時代にはすでに交易が始められ、20世紀中ごろが流通の絶頂期と言われていて、毛沢東が自動車道を雲南に作るまでこの茶馬古道は使われていた。関連する交易路も含め、西南シルクロード(Southwest Silk Road)[1]南のシルクロード(Southern Silk Road)とも呼ばれる。

雲南省南部の易武が起点。途中、景洪市プーアル那柯里などのメコン川沿いで寝泊まりしながら雲南省を北上し、虎街では町の真ん中を茶馬古道が通っている。その後、雲南の最初の王国・南詔国の都・巍山から大理を経由し、麗江市からは長江沿いを行き、ガダン・ソンザンリン寺院などを経由しながら雲南を出る。

チベットミャンマーネパールインド などへ抜ける幾つかのコースがある。四川省を起点とするコースも含める[2]

主な交易品は雲南地域より塩、茶、銀製品、食料品、布製品、日用品など。チベット地域より毛織物、薬草、毛皮など。チベットを経由してインド・ネパールで生産されたの物資も雲南に届いたと言う。茶馬古道の要衝といわれる有名な都市にラサ徳欽迪慶昌都芒康麗江大理思茅などがある。

脚注

関連項目

外部リンク


茶馬古道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:25 UTC 版)

シルクロード」の記事における「茶馬古道」の解説

詳細は「茶馬古道」を参照 中国南西部から、ミャンマー北部ヒマラヤ山脈南部経てインド亜大陸に至るルート西南シルクロードともされ主な交易品であったため茶馬古道とも呼ばれる通過する地名取り「川滇緬印古道」とも。

※この「茶馬古道」の解説は、「シルクロード」の解説の一部です。
「茶馬古道」を含む「シルクロード」の記事については、「シルクロード」の概要を参照ください。

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