英仏海峡横断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 16:12 UTC 版)
30 kmあまりの長さのドーバー海峡横断飛行は、初期の航空史の重要なイベントの一つであった。ロンドンの新興紙デイリー・メール社は1906年、世界初の英仏海峡横断飛行達成に、宣伝目的で1,000ポンドの賞金を掛けた。 1909年7月に初横断を競ったのが、ルイ・ブレリオのブレリオ XI と、ユベール・ラタムのアントワネット IV、そしてシャルル・ド・ランベール伯爵のライト・フライヤーである。最初に挑戦したのはラタムが駆るアントワネット単葉機で、7月19日にカレー市郊外のサンガット村を出発したが、11km進んだ洋上でエンジンが故障し、不時着水して護衛艦に救助された。 その後数日間は飛行不能な悪天候が続き、ようやく小康状態になった7月25日、夜明け前に起床したブレリオは天候悪化の兆しも顧みず予定を敢行し、明け方の4時35分に単身カレーから離陸。飛行中にはエンジンのオーバーヒートに悩まされたものの(一説にはにわか雨でエンジンが冷やされ事なきを得たという)、辛うじてイギリス側まで海上を渡り切り、強風で脚とプロペラを破損しつつも、ドーバー城下の草地に軟着陸した。所要時間は36分55秒であった。同日早朝にはラタムも別の所有機アントワネット VIIで出し抜くことを計画していたが、寝坊して機を逸した。 当時、航空機によるイギリス入国は想定外で、法律にも対応した規定がなかったため、イギリスの税関当局者は、フランスから国境を越えて飛来したブレリオ XIの書類上の取扱に困惑した。やむなく税関は、飛行機を「ヨット」と見なして入国手続を行った、という有名な逸話がある。 この「歴史的飛行」の達成により、ブレリオはデイリー・メールの懸賞を獲得したのみならず、フランス政府からレジオンドヌール勲章を授与され、出発地はその偉業を記念して、ブレリオ海岸(Blériot-Plage)と命名された。
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