英仏通商条約の締結
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「リチャード・コブデン」の記事における「英仏通商条約の締結」の解説
1859年4月の総選挙(英語版)でロッチデール選挙区(英語版)から選出された。 この頃、彼の属する急進派はホイッグ党やピール派とともに自由党を結成した。以降急進派は自由党左派勢力となった。 1859年6月に第二内閣を組閣したパーマストン卿は、コブデンに通商庁長官としての入閣を要請したが、コブデンはパーマストン卿の強硬外交に反対していたのでこれを断った。しかしコブデンはパーマストン卿が進めていた英仏通商条約の締結には賛成だった。パーマストン内閣財務大臣ウィリアム・グラッドストンと会見し、コブデンが英仏通商条約締結のための英国側の非公式代表に任じられた。 1859年10月18日にパリを訪問したコブデンは、フランスの自由貿易主義者の経済学者ミシェル・シュヴァリエの仲介でフランス通商大臣ウジェーヌ・ルーエ(フランス語版)やフランス皇帝ナポレオン3世と会見した。コブデンによれば彼は次のようにナポレオン3世を説得したという。「皇帝は関税率が10%から30%まで分布していると論じた。私は後者の数字が法外の率であると指摘した。私はまたその最大限が20%を超えてはならないと強調した。仮に皇帝が30%位まで主張すれば、このことは経済的措置としてだけでなく、政治的観点から言っても成功しないだろう。イギリス人はそれを他の形態での禁止関税と考えるだろう。」。 1860年1月23日にはコブデン=シュヴァリエ条約(英語版)と呼ばれる英仏通商条約を締結することに成功した。これにより関税が大幅に下げられ、イギリス製品にフランス市場が広く開放された。また両国はお互い10年間「最恵国待遇」を与えることになった。
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