艦上航空隊の時期
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「第九三一海軍航空隊」の記事における「艦上航空隊の時期」の解説
昭和19年2月1日 佐伯海軍航空隊より九七式艦上攻撃機48機を抽出し開隊。原隊は依然佐伯飛行場。海上護衛総司令部隷下。 昭和19年4月1日 海鷹、第1回出撃。門司を発しヒ57船団を護衛、4月16日シンガポールに無事到着。対潜掃討なし。 昭和19年4月21日 海鷹、シンガポールを発しヒ58船団を護衛、5月3日門司に無事到着。対潜掃討1回で、アメリカ潜水艦「ロバロー」を損傷させたと推定される。 昭和19年5月3日 大鷹、第1回出撃。門司を発しヒ61船団を護衛、5月18日シンガポールに無事到着。対潜掃討なし。 昭和19年5月23日 大鷹、シンガポールを発しヒ62船団を護衛、6月8日門司に到着(2隻損傷)。対潜掃討なし。 昭和19年5月29日 海鷹、第2回出撃。門司を発しヒ65船団を護衛、6月12日シンガポールに無事到着。対潜掃討なし。 昭和19年6月17日、海鷹、シンガポールを発しヒ66船団を護衛、6月26日門司に到着(2隻損傷、海防艦淡路戦没)。対潜掃討なし。 昭和19年7月14日 神鷹、第1回出撃。門司を発しヒ69船団を護衛、7月31日シンガポールに無事到着。対潜掃討1回。 昭和19年8月4日 神鷹、シンガポールを発しヒ70船団を護衛、8月15日門司に無事到着。対潜掃討1回。 昭和19年8月8日 大鷹、第2回出撃。門司を発しヒ71船団を護衛、8月18日フィリピン海峡で戦没。輸送船5隻・海防艦3隻戦没。 昭和19年8月24日 雲鷹、第1回出撃。門司を発しヒ73船団を護衛、9月5日シンガポールに無事到着。対潜掃討なし。ただし、木俣滋郎によれば、9月1日にアメリカ潜水艦「タニー」を損傷させた可能性がある。マニラ所在の第九五四海軍航空隊も同日同所にて敵潜水艦撃沈を報じている。 昭和19年9月8日 神鷹、第2回出撃。門司を発しヒ75船団を護衛、9月22日シンガポールに無事到着。対潜掃討1回。 昭和19年9月11日 雲鷹、シンガポールを発しヒ74船団を護衛、9月17日南シナ海で被雷戦没。戦没までに対潜掃討2回。 昭和19年10月2日 神鷹、シンガポールを発しヒ76船団を護衛、10月11日単艦で佐伯に無事到着。対潜掃討なし。 昭和19年10月25日 海鷹、龍鳳を護衛し内地-台湾間を往復。 昭和19年11月1日 海鷹、第3回出撃。門司を発しヒ83船団を護衛、12月26日シンガポールに到着(1隻損傷)。対潜掃討なし。 昭和19年11月14日 神鷹、第3回出撃。門司を発しヒ81船団を護衛、11月15日東シナ海で戦没。あきつ丸含む輸送船2隻戦没。 昭和19年12月26日 海鷹、シンガポールを発しヒ84船団を護衛、20年1月13日門司に到着(触雷により1隻喪失)。対潜掃討なし。 海鷹の帰港の同日、仏印沖でヒ86船団が壊滅し、大規模船団による南方シーレーン維持は断念された。これをもって九三一空は本来の目的であった船団随伴護衛任務を失った。度重なる対潜掃討は目視が可能な昼間に限定され、結果的に成果を出せなかった。海護総隊の航空参謀でさえ「足手まとい」と自嘲する結果に終わった。対する米軍潜水艦部隊の幹部の中には、「台湾やフィリピンの陸上基地から哨戒機を繰り出した方がまだよかった」と評する者もいた。もっとも、木俣滋郎によれば、撃沈戦果こそないものの、少なくとも3隻の潜水艦に損傷を与えていたのではないかと考えられるという。
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