自己批判と総括とは? わかりやすく解説

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自己批判と総括

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 02:59 UTC 版)

山村工作隊」の記事における「自己批判と総括」の解説

日本共産党1955年1月1日武装闘争が「極左冒険主義」だったとして自己批判行い同年7月29日第6回全国協議会六全協)で武装闘争路線否定した党の方針従い学業捨て山工作隊に参加した大学生もおり、参加者六全協方針転換に深い絶望味わった。また参加者の回想一部新左翼機関誌掲載されている。柴田翔小説されどわれらが日々――』(文藝春秋新社1964年)の背景にも山村工作隊六全協がある。 党は六全協の後、誤りおかした党員であっても分裂武装闘争路線誤り認め新し方針支持して真面目に努力する意思のある者は排除しない方針をとった。一方でこうした日本共産党平和革命路線への転換受け入れなかった人々日本の新左翼起源のひとつとなった山村工作隊活動は全く成果上げことなく日本の警察取り締まりにより消滅した摘発逃れたメンバー一部は、そのまま山中に籠もって自活の道を目指したが、日本共産党からの兵站補給無く放置されたまま自然消滅した。 現在、日本共産党は「五全協方針は、分派所感派)による党の分裂と党機関乗っ取りソ連中国による武装路線押しつけによって生まれたもので、党として正式に採択した方針ではない。所感派による党の分裂極左冒険主義深刻な誤りであった。」としている。[要出典]しかし、労働省の「資料 労働運動昭和26年によれば1951年8月10日コミンフォルムがその機関紙で四全協における「分派主義者に関する決議」を掲載して積極支持表明し、更にこれが同年8月14日モスクワ放送全文放送される至り、「国際派諸組織は、たちまち、あいついで解散復党」し、党の統一回復されその後1951年8月21日第20回中央委員会51年綱領草案草案発表にあたってアピール付随する五個の決議採択されている。51年綱領同年10月五全協審議終結し満場一致採択されている。これは、51年綱領分派存在しない統一状態で日本共産党により採択された事を意味し、「分派よるもので党として正式に採択した方針ではない」という党の上見解史実反するものと解される

※この「自己批判と総括」の解説は、「山村工作隊」の解説の一部です。
「自己批判と総括」を含む「山村工作隊」の記事については、「山村工作隊」の概要を参照ください。

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