脚気と食料の因果観察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 09:44 UTC 版)
「龍驤 (コルベット)」の記事における「脚気と食料の因果観察」の解説
ただし上記の脚気の被害は、海軍医務局長の高木兼寛らによる実験(観察)という側面もあった。幕末の医師であった遠田澄庵が当時、治療経験から推測しているように、米食中心の炭水化物過多(ビタミン不足)という当時の日本の食事、そして海軍糧食の栄養の偏りが脚気の原因と考えていた高木らは、まずは従来の海軍型の食事構成で龍驤を遠洋航海に送り出した。結果として高木らの予想通りに脚気の患者が激増し、ホノルルに着く頃には全乗組員376人中169人が脚気になり、うち25人が死亡した。特に航海の後半、船員が船内の糧食で長い時間を過ごしたのちのチリ~ホノルル間の58日間で150人が罹り、23人が死亡した。帆を張る船員が続々と倒れたため帆走が不可能となり、機走のみで航海せねばならなくなったが、釜をくべる船員たちもまた倒れていたために、士官や船長までもが総出で釜焚きを行い、やっとのことでホノルルに着いた龍驤からは「病人多し航海不能 金を送れ」という電信が日本に届いた。ホノルルにて一か月停泊し、さらに船内のそれまでの食料品を全て廃棄し、新鮮な肉や野菜など医務局の高木らが考えた栄養バランスの食料を購入して帰途に就いたところ、ホノルルや船内で食事改善した脚気患者は英気を回復し、龍驤は日本に帰港した。 この実験(観察)結果をふまえて、明治17年2月3日から11月16日までの「筑波」の遠洋航海演習には、医務局の高木らが考えたメニュー構成の食料が積まれ、再度実験(観察)が行われた。結果は、333人中、脚気患者は14人しか出なかった。患者のうち12人は「肉を口にしたがらなかった」船員であった。死亡者は0人であった。 これらは結果が解明されていたわけではないので、実験というより条件による因果関係の観察、と言うのが正しい。オリザニンやビタミンが発見され、脚気の原因が究明されるのは。この航海よりさらに後のことである。
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