脚気対策の第一歩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 01:32 UTC 版)
堀内利国は明治15年(1882年)に大阪陸軍病院長となり、27人の軍医や治療課などの各課、大勢の衛生兵の全体を指揮する立場になった。利国は明治16年(1883年)と明治17年(1884年)に兵営の改良を建議した。当時の脚気は伝染病の一種とされていて、兵営を衛生的にすることが脚気根絶の第一歩と考えたからであった。この建議は通り、兵営の改良は明治18年(1885年)に完成した。
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