聖書にみる異言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/13 10:04 UTC 版)
新約聖書では4箇所に異言の明確な言及が登場する。以下の4箇所である。 ペンテコステの日の異言 使徒行伝2章11節-13節にはペンテコステの日の異言の記述がある。弟子達は「他国のことばで(ἑτέραις γλώσσαις)はなしだした」と記述されている 。「ことばで」(γλώσσαις (glṓssais);γλῶσσα の複数与格)は普通、ことばを話す器官である舌と、話す言葉の両方を意味する。「他の」(希: ἑτέραις (hetérais);ἕτερος (héteros)の女性形複数与格)は弟子達が自国語ではない国語で話したことを示す。聖書の記述によると、ここで言及されている異言は外国語である。弟子達が、学んだことのない、自国語でない言語を、話したという現象である。 彼らはその話すことばを理解することができ、ことばの混乱を起こしたバベルの塔の物語とは逆に、聖霊は人々が言葉を越えて互いに理解し合えるようにされた。 コルネリオの家における異言 使徒行伝10章44節-47節には、ペテロが神の強い促しによって、コルネリオの家に集められた異邦人たちに福音メッセージを語った時に「~、みことばに耳を傾けていたすべての人に聖霊がお下りになった。」(44節)と記述されている。そして、彼らは「異言を」(γλώσσαις)話した。この異言は外国語であったかどうか明確には言われていない。しかし、「私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を彼らにもお授けになった。」(同11章17節)との記述から、この異言はペンテコステの異言と同じ性質のものであることが推測できる。 異言とヨハネの弟子達 使徒行伝19章1節-7節には、パウロがバプテスマのヨハネの弟子と会った記述が書いてある。パウロがキリストと聖霊について教えた後に、両手を彼らの上に置いた。すると彼らが異言を語ったという記述がある。「聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言(γλώσσαις)を語ったり、預言をしたりした。」(使徒行伝19章6節)この異言が外国語だったとは明確に言われていないが、ペンテコステとコルネリオの家の現象と同じ単語が使われていることから、同じ現象と思われる。 コリントにおける異言 コリント人への手紙第一12章1節-14章40節には、コリントの教会において人々が異言を語っていたといことが記述されている。パウロは異言が神の賜物であることを認めて、異言を禁じてはいないが、誤用については指摘している。この異言もペンテコステの異言と同じ γλῶσσα が用いられているので、ペンテコステの外国語を話す現象の可能性が高い。 異言を語るルールについてパウロは言及している。パウロは、異言を語るならば秩序を保ち二人、多くても三人で順番に語り、一人はその解き明かしをするようにし、また異言を解き明かす者がいなければ教会では異言をせず、個人的にすべきとしている。また、未信者や求道者をつまずかせるので、教会の全員が一箇所に集まって異言を語ってはならないとしている。また、聖書は異言より預言(聖書の言葉)を語ることを勧めている。参考:コリント人への手紙第一14章1−5節、27−28節、39節。 この教えは現在のルールでもある。
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