考案理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 22:13 UTC 版)
「インタラクティブ・ライブ」の記事における「考案理由」の解説
1980年代の終わり頃からデジタル技術が著しく発達し(この時期にはまだ個人へのインターネットサービスプロバイダは無い)、90年初頭よりミュージシャンが「個人」でできる範囲も広がり始め、インターネットの普及を予見した平沢は、新たなパフォーマンスの形態としての利用を考えていた。 平沢曰く、「当時音楽制作から流通に至るまでのプロセスにおける最後の部分、つまり「情報発信」とダウンロードを含めた「流通」の部分が、インターネットによって完全に網羅されると思ったんです。」、「当時のP-MODELのような、デジタルで音楽を形にしていくアーティストにとって、「ライブをやることの必然性」というのが実はあまりないんですよ。もちろん、打ち込まれた音源を大勢の人の前で鳴らし、それに合わせて生身の人間がパフォーマンスをすることには意義があると思います。ですが、それとはまったく違う形で、デジタル系のアーティストが「ライブをやることの必然性」を探りたかったんです。それと、せっかく手中に収めたインターネットというメディアを、自分の音楽のなかにどう取り込んでいくか? というある種の実験の意味もありました。」、「たとえばレコーディングスタジオでの作業がパソコン1台でできるようになり、それまで資本がなければ動かせなかったメディアや流通機構を自分の手中に収めることができる。そういった感触を得ることができたため、インターネットを早い段階から積極的に取り入れることにしました。」とインタビュー内で語っている。 1998年のオールナイトニッポン内でやるに至る切っ掛けを質問され、「音楽をコンピューターでやるようになってきた昨今。演奏も楽器からコンピューターで演奏するようになってきました。お客さんはライブを観る時に楽器を演奏する姿を観て喜び、楽しみ、そこにインタラクティブ(対話)が生まれるんです。しかし、コンピューターで演奏する姿は全然肉体的じゃないわけで、つまりコンピューターでそのようなショーにする為には、コンピューターそのもののメディア的な性格を最大限に引き出す事が、ライブに望む意味ではないかと考えたんです。」と答えている。
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