老いらくの恋とは? わかりやすく解説

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おいらく‐の‐こい〔‐こひ〕【老いらくの恋】

読み方:おいらくのこい

年老いてからの恋愛昭和23年1948)、68歳歌人川田順弟子恋愛家出し、「墓場近き老いらくの、恋は怖るる何ものもなし」と詠んだことから生まれた語。


老いらくの恋

作者三戸岡道夫

収載図書高齢化社会17ボケ物語
出版社栄光出版社
刊行年月2000.7


老いらくの恋

作者郡順史

収載図書上意討ち
出版社光文社
刊行年月2001.7
シリーズ名光文社時代小説文庫


老いらくの恋

作者倉橋由美子

収載図書老人のための残酷童話
出版社講談社
刊行年月2003.9

収載図書老人のための残酷童話
出版社講談社
刊行年月2006.6
シリーズ名講談社文庫


老いらくの恋

作者今野耿介

収載図書愛の軌跡
出版社東京図書出版会
刊行年月2005.11


老いらくの恋

作者秋山香乃

収載図書忘れ形見漢方医有安
出版社幻冬舎
刊行年月2006.3


老いらくの恋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:49 UTC 版)

川田順」の記事における「老いらくの恋」の解説

1939年に妻を脳溢血亡くし1944年から、元京都帝国大学経済学部教授中川与之助の妻で歌人鈴鹿俊子中川夫妻は既に3子をもうけていた)の作歌指導にあたる。川田中川旧知間柄であったが、俊子に「新古今集研究の手伝い等をつとめてもらう中で、川田と俊子の交際人目を忍ぶ仲へと発展、俊子との仲は中川の知るところともなる。川田は俊子との別れ中川に誓うが、結局逢瀬に再び身をやつすこととなり、1948年8月中川夫妻離婚に至る。しかし川田自責の念苛まれたことなどから、同年11月30日家出12月1日亡妻墓前自殺図った一命とりとめたが、川田家出の際に谷崎潤一郎たち友人宛てて遺書を、新聞社告白録などをそれぞれ送っていたことから、自殺未遂顛末報道され、俊子との交際公になり、いわゆる“老いらくの恋”として騒がれることとなる。この事件志賀直哉戯曲秋風』、辻井喬小説『虹の岬』のモデルとなった。翌49年川田は俊子と結婚再婚後は京都から神奈川県転居、俊子の2人の子引き取って同居生活を送った1963年日本芸術院会員1966年1月22日全身性動脈硬化症のため東京大学医学部附属病院死去戒名泰順院殿諦道博文居士

※この「老いらくの恋」の解説は、「川田順」の解説の一部です。
「老いらくの恋」を含む「川田順」の記事については、「川田順」の概要を参照ください。

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