義経は清国の祖になるとは? わかりやすく解説

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義経は清国の祖になる

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 01:18 UTC 版)

義経=ジンギスカン説」の記事における「義経は清国の祖になる」の解説

渡金説は効力失った寛政4年1792年蝦夷訪れた串原正峯(くしはらせいほう)は『夷諺俗話(いおんぞくばなし)』第一巻アイヌの人々義経武威恐れ服したとして、「夫(それ)より全国金の國)へ渡り給いしよし云い伝う事なるか」と記しており、蝦夷地にまで金に渡ったという流言広がっていたことが窺える。また延享3年1746年)の跋を有する米山沾涼(よねやませんりょう)『本朝俗諺志ほんちょうぞくげんし)』巻四には義経樺太農耕文字教えて国王となり源国を建てたとする話がある。初めのうちは義経金国臣下だとする話に留まっていたがその後エスカレートして国王レベルまで祭り上げられる。明和5年1766年)刊の滕英勝とうえいしょう)著『通俗義経蝦夷軍談』(『札幌大学総合論叢』三、北海道立図書館本)には白石著『蝦夷志』の知識頼りながらも、筋立て義経蝦夷軍との戦い勝利する過程描いているが、この書で清国の祖となっている。衣川義経の死諸書歴然とし「義経金へ渡りしという説あれどもその証慥(たし)かならず」と渡金説を否定しながら清で門毎に貼られている義経画像慥か証拠とし「今中国の天子義経の子孫なりと伝えり」と断定してついに義経清国となっている。義経伝説近世初期には蝦夷渡海説が主流だったが、同時に大陸へ渡ったとする説も一部存在した思われ世の話題上るのは天明7年1783年年刊行の長見 の『国学忘貝こくがくわすれがい)』であった同書巻下の『図書集成』に 「義経之裔(えい)、その先(せん)は清和出ず故に國を清と号すとあり、清と号する清和帝の清なり」 と記されている。これも捏造であった。 「#国学忘貝について」も参照 庶民には江戸後期に、金の将軍になったり、松浦静山『甲子夜話』文政4年1821年)および『甲子夜話続編』や、義経韃靼渡りその子孫清和源氏一字をとって、清国興したとする説が幕末まで一般的であった通俗小説世界では嘉永3年1850年)に、永楽一水の『義経蝦夷談』に義経ジンギスカンになったとする話がある。

※この「義経は清国の祖になる」の解説は、「義経=ジンギスカン説」の解説の一部です。
「義経は清国の祖になる」を含む「義経=ジンギスカン説」の記事については、「義経=ジンギスカン説」の概要を参照ください。

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