緑の日々とは? わかりやすく解説

緑の日々

作者神谷

収載図書緑の日々―新しい家族物語
出版社白泉社
刊行年月1995.9
シリーズ名花丸ノベルズ


緑の日々

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/07 07:51 UTC 版)

緑の日々」(みどりのひび)は、小田和正作詞 · 作曲による、オフコースの曲。1984年9月21日 (1984-09-21)に通算27枚目のシングルとして発売された。後に小田自身によるセルフ・カヴァーが1993年3月25日 (1993-03-25)に通算10枚目のシングルとして発売された。

オリジナル

「緑の日々 / CITY NIGHTS」
オフコースシングル
初出アルバム『The Best Year of My Life
A面 緑の日々
B面 CITY NIGHTS
リリース
規格 7"シングルレコード
ジャンル
レーベル EXPRESSFUN HOUSE
作詞・作曲
  • 小田和正(緑の日々)
  • JIMMY COMPTON, PHILIP H.RHODES, KAZUMASA ODA / KAZUMASA ODA (CITY NIGHTS)
プロデュース オフコース
チャート最高順位
  • 週間14位(オリコン
  • 1984年10月度月間17位(オリコン)
  • 1984年度年間158位(オリコン)
  • 登場回数8回(オリコン)
オフコース シングル 年表
  • 緑の日々 / CITY NIGHTS
  • (1984年 (1984)
The Best Year of My Life 収録曲
SIDE A
  1. 恋びとたちのように
  2. 夏の日
  3. 僕等の世界に
  4. 君が、嘘を、ついた
SIDE B
  1. 緑の日々
  2. 愛を切り裂いて
  3. 愛よりも
  4. 気をつけて
  5. ふたりで生きている
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解説

「緑の日々」は、アルバムThe Best Year of My Life[注釈 1]からのシングル・カット曲で、アルバム収録曲と同内容。シングル・リリース当時、小田の演出でプロモーション・フィルムが制作され、『ロッキー』と『天国から来たチャンピオン』をあわせたようなストーリーで、メンバーの清水仁が元世界チャンピオンのボクサーを演じた。共演は清水の恋人役に高樹沙耶、店のボーイに扮した天国の神様役に武田鉄矢がそれぞれ出演。さらに、ボクシング・ジムでの清水の練習シーンにはトレーナー役としてエディ・タウンゼントも出演し、11分を超える作品となった。カメラマンは、後に小田の第1回映画監督作品『いつか どこかで』にも携わる西浦清。小田は「この時は、(清水)仁が1か月くらい、ボクシング・ジムに通ってね。俺はボクシングが好きで、トレーナー役に、エディ・タウンゼントさんに出てもらった。仁は、自分からジムに通いたいって言いだしたんだ。あいつ、やるとなると徹底的にやるんだ。この時は、北海道に行って撮影したり、そのうちなんだか、どんどんエスカレートして、車がぶつかるスタント・シーンをやろう、とか。そんなふうに、一つの曲からエピソードを膨らませて作った」[1]とインタビューで答えている。この曲は後に小田がエンディングに新たな歌詞を追加してセルフ・カヴァーし、シングルとしてリリース、後にアルバム『LOOKING BACK[注釈 2]に収録された。

「CITY NIGHTS」はアルバム『over[注釈 3]収録曲「哀しいくらい」の改作で、同曲のメロディーに新たに英語詞をつけた作品。作詞を担当したJIMMY COMPTONは当時のスタッフの知り合いで、全曲英語詞のアルバム『Back Streets of Tokyo[注釈 4]リリースよりも以前の1983年3月 (1983-03)、アメリカのキャピトル・レコードとの契約を目指して9曲ほど制作された、“GETTING BETTER DEMO”と呼ばれるデモ・テープの一曲。以前からアルバムのミックス・ダウンでアメリカを訪れた際、オフコースはアメリカのレコード会社とコンタクトが取れないかと努力していた。当時、東芝EMIからキャピトル・レーベルの作品がリリースされていた関係で、ロスアンゼルス滞在時には、そのオフィスを表敬訪問した。小田は「現地のプロデューサーに会った。その人の家に行ったりして、急に海外が近づいたような気がした。でも、今思えば、それはただの社交辞令だったんだよ。もちろん、日本でアメリカの音楽を追っ掛けていても、それがアメリカでのニーズになるわけないのは知ってたよ。だけど、もし可能なら向こうでやりたい、というのはあったんだ」[2]とインタビューで答えている。さらにジョージ・マーティンとも会ったという。小田は「ロンドンのエアー・スタジオってところで会った。あの人は、スター・プロデューサーって感じじゃなくて、いい意味でビジネスライクで、エンジニア気質の、そんな人だった。もし機会あったら、オフコースやりたい、みたいな、そんなことも言ってくれたけど、“ともかく、日本語ではダメだ”と。“ビートルズは、幸いなことに英語だった。だからアメリカに行けたんだ”。その時、ジョージ・マーティンは日本のプロジェクトに興味を持っていた。やりたいという意向もあった。しかし、結局は実現しなかったな」「でもやるからには、“何とか英語の詞を”って、そう思った。東京戻って、スタッフの知り合いのジミーってイギリス人と組んで、10曲くらい、英語の詞を書いたな。デモ・テープ作って、そいつと一緒にキャピトル行って、前から知り合ってた人間に、聴かせたんだ」[2]という。しかし、このデモ・テープはレコード会社に受け入れられず、オフコースの全米進出は一旦頓挫した。小田は「ボロクソ言われたんだ。ジミーは、落ち込んじゃって。事務所の連中とかメンバーは、ハワイに社員旅行で、俺ら、ロスからハワイで合流することになって。みんな、期待してたんだよ。アメリカで契約取れたかなぁ、みたいにさ。でも、俺はしまいに、そのジミーって奴と空港からホテルへ向かう車の中で、喧嘩になっちゃってさ。でも、ジミーから、俺は色々と、わからなかった英語の発音とか、教えてもらった。いい奴だったんだよ。でも、アメリカは、そんなに甘くはなかったよな」[2]と振り返っている。結局この時のデモ・テープのレコーディングの中から「CITY NIGHTS」のみがリリースされた。

パッケージ、アートワーク

ジャケット撮影は夏の真っ最中に行われたため、秋物を着ているメンバーも、まわりのスタッフも汗だくだったという。また、小田がかけている眼鏡は度が入っていないという。アナログ盤の7"シングルレコードの初回盤は、ライトグリーンのクリアビニール仕様でリリースされた。

収録曲

Side-A

  1. 緑の日々
    作詩[注釈 5] · 作曲:小田和正

Side-B

  1. CITY NIGHTS
    • 作詩[注釈 5]:JIMMY COMPTON, PHILIP H.RHODES, KAZUMASA ODA 作曲:KAZUMASA ODA
    • アルバム未収録曲

クレジット

リリース日一覧

地域 タイトル リリース日 レーベル 規格 カタログ番号 備考
日本 緑の日々 / CITY NIGHTS 1984年9月21日 (1984-09-21) EXPRESSFUN HOUSE 7"シングルレコード 07FA-1011 「緑の日々」はアルバムThe Best Year of My Life』からのリカット、「CITY NIGHTS」はアルバム未収録。初回盤は、ライトグリーンのクリアビニール仕様。
1991年12月21日 (1991-12-21) FUN HOUSE FHDF-1140
2020年6月3日 (2020-06-03) USM JAPAN ⁄ UNIVERSAL MUSIC LLC
CD
UPCX-4248 (TDCD 91303) デビュー・シングル『群衆の中で / 陽はまた昇る』からラスト・シングル『夏の別れ / 逢いたい』までを収録した全36枚組CD BOXコンプリート・シングル・コレクションCD BOX』(UPCY-9918)の中の1タイトル。発表当時のアナログ7インチ・シングルのアートワークを再現した12cm紙ジャケット仕様CD。

小田和正のセルフ・カヴァー

「緑の日々」
小田和正シングル
初出アルバム『LOOKING BACK
B面 緑の日々(オリジナルカラオケ)
リリース
規格 8cmCDシングル
ジャンル J-POP
レーベル Little Tokyo ⁄ FUN HOUSE
FHDL-1008
作詞・作曲 小田和正
プロデュース 小田和正
チャート最高順位
  • 週間19位(オリコン
  • 登場回数7回(オリコン)
小田和正 シングル 年表
  • 緑の日々
  • (1993年 (1993)
LOOKING BACK 収録曲
  1. 君との思い出
  2. 昨日 見た夢
  3. もっと近くに
  4. 緑の日々
  5. Yes-No
  6. 風に吹かれて
  7. 愛を止めないで
  8. 夏の終り
  9. やさしさにさようなら
  10. 秋の気配
  11. 僕の贈りもの
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解説

小田和正による「緑の日々」のセルフ・カヴァーは当初シングルのみでリリースされた、1984年に制作されたオフコース時代の楽曲のセルフ・カヴァー。この曲はTBC ブライダル・キャンペーン・ソング[注釈 6]に使用され、後にアルバム『LOOKING BACK[注釈 2]及びオールタイム・ベストあの日 あの時[注釈 7]に収録された。

収録曲

  1. 緑の日々
    • 作詩[注釈 5] · 作曲 · 編曲:小田和正
    • TBC ブライダルキャンペーンソング
  2. 緑の日々(オリジナルカラオケ)

レコーディング・メンバー

  • CHIAKI YOSHIIKE  – Ba.
  • KEIICHI HIDAKA  – Gt.
  • HIDEKI MOCHIZUKI  – Syn. & Dr. Prog.
  • & K.ODA

脚注

注釈

  1. ^ The Best Year of My Life』 1984年6月21日 (1984-06-21)発売 EXPRESSFUN HOUSE LP:28FB-2002, CT:28FC-2002
  2. ^ a b 小田和正LOOKING BACK』 1996年2月1日 (1996-02-01)発売 Little Tokyo ⁄ FUN HOUSE CD:FHCL-2003
  3. ^ over』 1981年12月1日 (1981-12-01)発売 EXPRESS ⁄ TOSHIBA EMI LP:ETP-90150
  4. ^ Back Streets of Tokyo』 1985年8月1日 (1985-08-01)発売 FUN HOUSE LP:28FB-2020
  5. ^ a b c 記載ママ
  6. ^ 出演:古柴香織
  7. ^ 小田和正『あの日 あの時』 2016年4月20日 (2016-04-20)発売 Little Tokyo ⁄ Ariola JapanSony Music Labels Inc. 3CD:FHCL 3005-7

出典

  1. ^ 『YES-NO 小田和正ヒストリー』株式会社角川書店、1998年、209-236頁。ISBN 4-04-883529-7。「映画は人生最大の「企画」」 
  2. ^ a b c 『YES-NO 小田和正ヒストリー』株式会社角川書店、1998年、147-178頁。 ISBN 4-04-883529-7。「ザ・ベスト・イヤー・オブ・マイ・ライフ〜四人のオフコース〜」 

外部リンク

オフコース

オフコース
SonyMusic
その他

小田和正

SonyMusic
小田和正 YouTube Official Channel
その他



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