経緯度原点の金属標設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 09:01 UTC 版)
「日本経緯度原点」の記事における「経緯度原点の金属標設置」の解説
麻布周辺の都市化が進んだために、関東大震災以前から東京天文台の三鷹村への移転が始められていたが、関東大震災後の1924年(大正13年)に移転が完了した。旧東京天文台(麻布天文台)の建物や観測器械は東京帝国大学の天文学教室として学生の教育に利用された。1945年には戦災によって焼失したが、天文学教室はバラックによって再開された。 子午環は関東大震災時に大破したが、移動した架台は残存し、戦災によってさらに焼損した。1959年(昭和34年)、旧子午環架台は補修され、かつての子午環中心の位置(旧架台の前方)に日本経緯度原点を示す金属標が新たに設置された。地中金属標として石蓋を施したもので、その後方に位置する旧架台には銘板が取り付けられて日本経緯度原点があることを示した。 1960年(昭和35年)に東京大学天文学教室は本郷に移転した。麻布天文台跡地にはその後、中央官庁の庁舎(中央官庁合同会議所、国土交通省狸穴分室)が建てられた。 1961年(昭和36年)、原点周辺は現在見られる状況に整備された。旧子午環架台が完全に撤去されるとともに、かつての子午環があった状況を形象化して、架台をモチーフとする2枚の黒い石板の間に原点を示す金属標が設置された。 1996年(平成8年)10月22日に、日本経緯度原点は港区指定文化財(史跡)に指定された。 国土交通省狸穴分室があった周囲の土地は、2008年(平成20年)に駐日アフガニスタン大使館として取得された。
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