組織・訓練・人材とは? わかりやすく解説

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組織・訓練・人材

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/12 17:22 UTC 版)

郷土防衛義勇軍」の記事における「組織・訓練・人材」の解説

ペタ設立正式決定後、その編成中心メンバー助教となったのは、ジャカルタ近郊タンゲランにあった1942年の末から設立されていた「青年道場」(インドネシア特殊要員養成隊、隊長柳川宗成中尉)のインドネシア人青年たちだった。「青年道場」に入る資格は、愛国心宗教イスラム教)心があることと、中学校卒業したインドネシア人であることであった。この青年道場日本中野学校出身情報士官らによって設立され機関で、インドネシア人青年ゲリラ戦情報戦技術教育していた。ペタ設立決定後、この青年たちをボゴール設立され幹部養成学校義勇軍錬成隊)に所属させて各種訓練実施した。そして、この学校卒業生中心となって、彼らのそれぞれの故郷で、約500規模ペタ大団結成させた。この大団の下に、中団、小団、分団組織された。 こうした大団は、1943年末には35大団1944年8月には20大団同年11月にはさらに11大団追加編成された。終戦時には、66大団、約36千人規模となっていた。このなかには蘭印軍オランダ東インド軍)軍曹前歴隠したまま入隊して団長任命されスハルト(後のインドネシア第2代大統領)も居たスハルトその後、中団長昇進しインドネシア人士官らの訓練にもあたった。 こうして設立され民族軍ではあっても、占領期間中日本軍指揮下に置かれ軍事訓練等は日本軍指導の下に実施された。訓練はすべて日本軍歩兵操典基準にしておこなわれた訓練きびしく訓練兵のなかには病気になった死亡したりする例もあった。軍事訓練とともに重視されたのは精神教育であり、そこでは日本軍軍人勅諭用いられ祖国のための自己犠牲尊さ闘う勇気などについて、インドネシア人青年徹底的に教え込まれた。 この青年道場体験者でのちにインドネシア陸軍情報部長を務めたズルキフリ・ルビスは、当時について以下のように述懐している。 ここ(青年道場)に入る資格は、第一愛国心第二宗教イスラム教)心の篤い男で、第三中学校卒業したインドネシア人であることだった。50人の青年選抜されて、この道場に入った。…一年後ボゴール創設されPETAの「助教」に任命された。われわれは「自覚せよ。勇敢であれ。忠誠心をもて。訓練せよ」という厳し教育受けたが、「独立の時来たる」という強い自覚持って一生懸命がんばった。…日本軍政の特徴は、魂を持ってきてくれたことです。われわれと苦楽を共にし、農作業各種技術初歩教えてくれ、軍事訓練まで施してくれました。 — ズルキフリ・ルビス元陸軍情報部

※この「組織・訓練・人材」の解説は、「郷土防衛義勇軍」の解説の一部です。
「組織・訓練・人材」を含む「郷土防衛義勇軍」の記事については、「郷土防衛義勇軍」の概要を参照ください。

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