純潔教育から性科学への転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:50 UTC 版)
「性的対象化」の記事における「純潔教育から性科学への転換」の解説
日本の性教育のはじまりは、1945年の第二次世界大戦敗戦直後から国が主導してきた「純潔教育」に遡る。性科学者で京都精華大学ポピュラーカルチャー学部教授の斎藤光によると、1947年にGHQの支援を受けて婦人民主クラブが創立され、発起人のひとりである山室民子は、「一夫一婦結婚の貫徹」「男女ともに婚前性交の禁止」「男性の買春への批判、女性の人格を認め、女性の性の商品化と決別する」などの主張をした。これは日本キリスト教婦人矯風会等の性 ・ 結婚思想の基軸となってきたもので、戦前から存在する思想である。 1972年、日本性教育協会が設立され、純潔教育から性科学を主軸にする性教育へと転換した。 1992年、学習指導要領が改訂され、思春期の成長は「男子=声変わり」から「精通」と定義され、性に関する具体的な指導が盛り込まれたことで「性教育元年」と呼ばれた。エイズが社会問題化し、HIV教育の重要さがフォーカスされたことで、小学校6年の理科で扱う人体の学習が3年生に前倒しされ、5年生に『人の発生と成長』が位置づけられるなど、性教育に発展の兆しが見られるようになった。 教育現場では射精をどこまで掘り下げるかなど試行錯誤をしていた。そんななか、東京都日野市の七生養護学校では、知的障害の子どもが性被害を受けても気づかなかった等の事態を受け、男性器と女性器の名称を織り込んだ歌や、性器のついている人形を使うなど独自の性教育に取り組み、校長会等でも高く評価された。
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