純潔教育から性科学への変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 18:58 UTC 版)
「性教育」の記事における「純潔教育から性科学への変化」の解説
日本の性教育の始まりは、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦敗戦直後から国が主導してきた「純潔教育」に遡る。風俗対策や治安対策の一環としてスタートした。性科学者で京都精華大学ポピュラーカルチャー学部教授の斎藤光によると、1947年(昭和22年)にGHQの支援を受けて婦人民主クラブが創立され、発起人の一人である救世軍士官(牧師)の山室民子は、「一夫一妻結婚の貫徹」「男女ともに婚前性交の禁止」「男性の買春への批判、女性の人格を認め、女性の性の商品化と決別する」などの主張をした。これは日本キリスト教婦人矯風会等の性 ・ 結婚思想の基軸となってきたもので、戦前から存在する思想である。 1972年(昭和47年)、日本性教育協会が設立され、純潔教育から性科学を主軸にする性教育へと転換した。
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