精神病患者の皆殺し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/09 21:48 UTC 版)
「ポーランド人に対するナチスの犯罪」の記事における「精神病患者の皆殺し」の解説
1939年7月、T4作戦と呼ばれた秘密計画が策定された。これは精神病患者を根絶することを目的としていた。ポーランド侵攻の期間には、T4作戦はポーランドにおけるナチス・ドイツ占領地域でも実行された。当初は以下の概要に沿って計画は実施された。 ドイツの管理者が精神病院の監督権を奪う 病院を脱出しようとする患者は死刑とする 全ての患者を数え上げ、トラックに乗せて他の場所へ移送する 患者輸送の全てには親衛隊の特別部隊から派遣された武装した隊員が付き添い、数時間後には一人の患者も連れずにいずこからか戻ってきた。患者は他の病院に連れて行かれたのだと言われていたが、証拠によると実はみな殺されたのであった。 1939年9月22日、グダニスク地方のコツボロヴォにあった大きな精神病院でこの手の一連の作戦の最初の行動がとられた。患者と共に、副院長を含む6人の病院職員が銃殺隊によって殺された。1939年から1944年までの期間にコツボロヴォでは2,562人の患者が殺害された。1939年10月には同様の殺害がポズナニ近くのオフィンスカにあった病院でも行われ、子供を含む1,000人の患者が犠牲となった。銃殺隊によるほかに、他の手段による大量虐殺も行われた。オフィンスカ精神病院の患者はポズナニにあった要塞に移送され、第7掩蔽壕で約50人ずつ一酸化炭素で中毒死させられた。同精神病院の他の患者はトラックの荷台に乗せられ密閉されて、そこにトラックの排気ガスを送られて一酸化炭素中毒死させられた。1940年3月から8月にかけてウッチ近郊のコハヌヴェク精神病院でも同様の殺害手段が取られ、2,200人が命を落とした。これらはガス中毒による大量殺害の最初の「成功例」であり、この「技術」は後にポーランドやドイツの多くの精神病患者に対して適用されて完成し、1941年からは強制収容所の囚人に対して行われるようになった。 1939年から1945年までの期間にドイツによって占領されたポーランドで殺害された精神病患者の総数は1万6千人と見積もられており、その他に1万人の患者が満足な食物を与えられずに栄養失調で死亡した。それに加えて、戦前の「ポーランド精神医学会」のメンバー243人のうち100人が、患者と運命を共にした。
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