簡易半鋼車体化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 23:42 UTC 版)
「箕面有馬電気軌道1形電車」の記事における「簡易半鋼車体化」の解説
1926年7月の大阪市内高架複々線の完成に伴ってフェンダーが撤去され、前面屋根上にヘッドライト1灯、前面窓上右側に標識灯が設置され、同年11月には集電装置もパンタグラフに変更された。 1927年2月より、腰板などに鋼板を張る簡易半鋼製車体化改造が実施された。この際、19 - 32については1 - 18同様平妻・角型化及び貫通扉取りつけ改造が実施された。全車簡易半鋼車体化改造と同時に運転台側面に小窓が設置された。 19 - 32は改造時に側窓の高さを少し上げて、その分幕板を狭く腰板を広くした。理由としては、南海の簡易半鋼車同様、側板に強度を持たせるためとしている。幕板の飾り窓部分は改造前同様板張りであったが、ベンチレーターはお椀形のまま残った18以外は全車ガーランド形ベンチレーターが取りつけられた(二重屋根車は屋根側面、丸屋根車は屋根上)。これにより、側面の印象が1 - 18とやや異なっている。 さらに33は屋根を車内側も含めて完全な丸屋根に改造してお椀形ベンチレーターを取りつけ、側面は両端の扉の幅を広げて位置も若干車体中央寄りに寄せた。また19 - 32よりもさらに側板を高く幕板を狭くし、前面窓・運転台側面窓の上下辺の高さもそこに揃えたことから、全体的に窓の位置が高くなって腰高かつすっきりした印象の車体となった。前面は他車同様平妻・角型化されているが、アンチクライマーは取りつけられていない。内装は、電灯が当時最新の600形同様シャンデリア形のものに取り替えられ、シートモケットが紺色のものに張り替えられた。 改造後は1 - 32が従来同様宝塚線で単行から2両編成で運用されたが、1両だけの特殊な存在となった33は梅田駅 - 十三駅間の折り返し運用に充当されたほか、貴賓車や貸切用として運用された。また常時1両で運行されることとなったことから、パンタグラフの故障予備にトロリーポールを装備したことがある。 その後、1935年から1936年にかけて、19 - 32のブレーキ装置が将来の4両編成運行に備えて元空気溜式の自動空気ブレーキに改造されたことから、本形式は1 - 18・19 - 32・33の3グループに分かれて運用されるようになった。また、車番の字体も当初のローマン体から大型のゴシック体に変更され、1930年代後半には1 - 32の幕板の飾り窓部分に鋼板を張って埋めたほか、前面左側の行先表示幕も埋められている。
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