第二回ソビエト大会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 14:50 UTC 版)
蜂起の最中、予定通り第二回全国労働者・兵士代表ソビエト大会が開かれた。投票により選出された600名強の評議員のうち、300人以上をボリシェヴィキが占めた。冬宮占領を待ち、大会は権力のソビエトへの移行を宣言した。こうして革命は承認された。 しかしソビエトへの権力移行は反対勢力もあった。ソビエト大会評議員のうち、社会革命党(エスエル)の右派、およびメンシェヴィキなどは、ボリシェヴィキがクーデターを起こして不法に権力を奪取したと非難し、ソビエトではなく「全権力を憲法制定会議へ!」と主張した。ボリシェヴィキに抵抗する彼らにトロツキーは「おまえたちは破産した。おまえたちの役割は終わった。おまえたちはこれから歴史のごみ箱行きだ」となじった。 10月27日に第二回ソビエト大会は、臨時政府に代わる新しいロシア政府として、レーニンを議長とする「人民委員会議」(Совет народных коммиссаров、略してソヴナルコム)すなわち「臨時労農政府」を設立した。大会は全交戦国に講和を提案する「平和に関する布告」貴族・教会・地主などから土地を強制収用し土地の国有化を宣言する「土地に関する布告」を採択した。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}ボリシェヴィキは工業を復興させ都市と農村の間で商品が円滑に交換されることを目指しており、農民の支持を必須のものとしていた。彼らは自らを労働者と農民の同盟を代表するとみなした。この観念は、鎌とハンマーをあしらったソビエト連邦の国旗や国章に表れている。[要出典] さらに大会は次のような布告を行った。すなわち、ロシアのすべての銀行の国有化、工場の管理権限を労働者ソビエトへ与える「労働者統制」、銀行口座の押収、教会資産の没収、戦時中の労働賃金を上回る賃金への固定、ロシア帝国および臨時政府が負った債務の一方的破棄、ポーランドとフィンランドの独立への約束である。
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