第二回シュパイアー帝国議会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/29 10:12 UTC 版)
「シュパイアー帝国議会」の記事における「第二回シュパイアー帝国議会」の解説
前回の決定によって、ルター派諸侯が台頭していき、さらに、ツヴィングリ派も西南ドイツを中心に勢力を伸ばした。こうした事態を憂えたカトリック諸侯は、1529年4月22日に開催されたシュパイアー帝国議会において巻き返しを図った。その結果、再びヴォルムス帝国議会の決定(ヴォルムス勅令)が復活することになり、ルター派の諸侯・都市はこれに対して抗議した。ここから、プロテスタントという語が生まれることになった。
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