第一次シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争をめぐってとは? わかりやすく解説

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第一次シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争をめぐって

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 15:10 UTC 版)

ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)」の記事における「第一次シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争をめぐって」の解説

1848年革命ナショナリズム高まり影響で、1848年4月8日デンマーク当時絶対君主制国家だった)の同君連合下にあるシュレースヴィヒ公国ホルシュタイン公国で両公国ドイツ連邦への吸収合併求めドイツ民族主義者デンマーク軍戦闘勃発したプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世ドイツ・ナショナリズム支援のために介入決定し4月10日にもシュレースヴィヒ・ホルシュタイン進軍しデンマーク軍同地から追い払った第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争)。 この問題めぐってプロイセンバルト海進出恐れているロシアが、デンマーク側で参戦する可能性高かったパーマストン卿はロシア参戦阻止すべく、国際会議仲裁しようとしたロシア外相カール・ロベルト・ネッセルローデパーマストン卿に共同介入提案したが、パーマストン卿はそれを拒否し単独介入目指した。4月末までにデンマーク・プロイセン両国から国際会議開催への合意得たが、5月にはプロイセン軍デンマーク領へ侵攻開始し、これに激怒したロシアフランスとともに参戦ちらつかせプロイセン脅迫し6月プロイセン軍デンマーク領からの撤退余儀なくされた。ロシアスウェーデン斡旋8月にはデンマーク・プロイセンは一時休戦した。 ここでパーマストン卿は、恒久的和実現のためとしてシュレースヴィヒ・ホルシュタイン問題話し合うロンドン会議提唱した孤立無援状態だったプロイセンはこれを支持し、またシュレースヴィヒ劣勢に立ったままのデンマーク支持した。こうして10月からパーマストン卿を議長とするロンドン会議開催された。パーマストン卿は「シュレースヴィヒデンマーク統合しつつドイツ語住民に独自の憲法制定含めた自治権付与し一方ホルシュタインデンマーク王同君連合のままドイツ連邦加盟する」という案で会議まとめようとしたが、デンマーク王フレデリク7世はこれを承諾しなかった。その頑なな態度プロイセンドイツ連邦デンマークとの交渉打ち切った1849年4月から戦闘再開されたが、この頃オーストリアデンマーク後押ししてプロイセン背後から襲いかかろう策動していた。プロイセンドイツ・ナショナリズム明らかに不利な情勢の中、パーマストン卿はデンマーク軍事的優位に立たせる以外にロンドン会議をまとめることができない確信しプロイセンオーストリア双方介入しないよう圧力をかけた。これにより両国とも不介入決定し以降、この戦争シュレースヴィヒ・ホルシュタインの中のドイツ・ナショナリストとデンマークだけの戦いへと変化していく。これによりデンマーク側が軍事的に有利に立ったそのうえでパーマストン卿は1849年9月改めロンドン会議招集したパーマストン卿の主導する粘り強い交渉の末、デンマークにもドイツ側にも一定の譲歩をさせることができた。シュレースヴィヒ・ホルシュタイン両国とも引き続き同君連合のもとデンマーク王統治下に置かれることやグリュックスブルク家クリスチャンフレデリク7世後を継ぐこと、デンマーク自体自由主義的な憲法導入することなどが取り決められた。これらの合意1850年8月ロンドン議定書という形で結実した

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