羽根谷砂防堰堤(第一堰堤)
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文化財としての特徴 | オランダ人水理工師デ・レーケが、「川を治めるには山をまず治める」という理念のもとに、禿げ山の山腹工、植栽、土留めの巨石積堰堤の築造などを指導した施設のひとつ。巨石積堰堤の規模は、高さ12m、提長52mで、人頭大から等身大の切出し石を空積みで仕上げている。明治初期の空石積砂防堰堤としては、最大級の規模を誇り、現在も大きな狂いがないことに、当時の技術水準の高さがうかがえる。なお、この堰堤の右岸袖近くに石碑があり、明治20年4月1日着工と刻まれている。 |
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羽根谷砂防堰堤(第一堰堤)
名称: | 羽根谷砂防堰堤(第一堰堤) |
ふりがな: | はねだにさぼうえんてい(だいいちえんてい) |
登録番号: | 21 - 0010 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 基 |
構造: | 巨石空積堰堤,堤長52m,堤高12m |
時代区分: | 明治 |
年代: | 明治21 |
代表都道府県: | 岐阜県 |
所在地: | 岐阜県海津市南濃町奥条地内 |
登録基準: | 再現することが容易でないもの |
備考(調査): | 岐阜県近代化遺産(建造物等)総合調査 |
施工者: | |
解説文: | 明治初期の空積石の砂防堰堤としては最大級のもの。堤高約12メートル,堤長約52メートルの堰堤が,巨石で築かれている。オランダ人土木技師ヨハネス・デ・レーケの指導によるといわれ,現在でも堤体に大きな狂いのないことは,当時の技術の高さを示している。 |
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