競合と変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/11 12:22 UTC 版)
「ディスカバー (雑誌)」の記事における「競合と変化」の解説
多くの同種類の雑誌が同じ市場に同時期に登場したことで、必然的にいくつかの雑誌は廃刊に追い込まれた。『ディスカバー』もまた、1980年代半ばまでに市場からほぼ取り残されため、心理学や精神医学に関する記事を掲載することで、より多くの読者にアピールすることにした。ジャーオフは編集主幹に、そのような記事は「堅実な科学」ではないと伝え、『ディスカバー』誌の編集はタイム社本体に戻された。"Skeptical Eye"などのコラムは消え、それまで避けてきた、物議を醸すような不確かな内容(「宇宙はどのように終焉を迎えるのか」など)を取り上げた記事が掲載されるようになった。新しいフォーマットはその後20年間、ほとんど変更されなかった。 1985年に、『ディスカバー』誌を立て直すために『スポーツ・イラストレイテッド』誌の編集者ギルバート・ロージンが送り込まれた。1986年、タイム社は『サイエンス・ダイジェスト』と『サイエンス86』を買収して『ディスカバー』誌に統合した。1987年5月までに同誌の発行部数は92万5千部に達し、1986年の収益は690万ドルとなったが、年間の純損失は1千万ドルだった。 その後、『ディスカバー』誌は発行元を何度も変更した。1987年、タイム社は『ディスカバー』誌を、『ヘルス(英語版)』、『ゴルフ・イラストレイテッド』、『ホームオーナー』、『1001ホーム・アイデア』、『ワールド・テニス』の所有者であるファミリー・メディア社に2600万ドルで売却した。1991年1月から7月にかけて、『ディスカバー』誌は広告収入の15%を失ったが、利益は維持した。その後、ファミリー・メディア社は全ての雑誌の発行を停止し、売却先を募った。ファミリー・メディア社の下で発行された最後の『ディスカバー』誌は1991年8月号で、発行部数は110万部だった。 1991年9月、ウォルト・ディズニー・カンパニーが同誌を買収し、ディズニー・パブリッシング(英語版)の雑誌グループが復刊させた。同誌のメインオフィスはバーバンクの雑誌グループのオフィスに移され、ニューヨークのオフィスも一部残された。ディズニー社は、ファミリー・メディア社での編集長ポール・ホフマンをそのまま据え置くことができた。 2005年10月、雑誌『スピン』と『ギア(英語版)』の創刊者であるボブ・グッチョーネ・ジュニア(英語版)が同誌を買収した。グッチョーネはCEOを務め、2006年4月号のデザイン変更を監督した。しかし、グッチーネは2007年10月、「財務担当者との方針の相違をめぐる対立」によりCEOを更迭され、ディスカバー・メディア社の最高財務責任者であったヘンリー・ドナヒューが新CEOに就任した。2008年には出版者の役職にも就いた。2008年10月には、ディスカバー社のエグゼクティブ・エディターであるコリー・S・パウエル(英語版)が編集長に就任した。 2010年に同誌はカルムバック・パブリッシング(現 カルムバック・メディア)に売却された。カルムバック社は、模型製作、ビーズワーク、アウトドアなどをテーマにした書籍や雑誌を発行し、科学雑誌では一般向けの天文雑誌『アストロノミー』を発行している。2013年1月、編集拠点がウィスコンシン州のカルムバック社本社内に移された。
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