称号と「ブレトワルダ」
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「エゼルバルド (マーシア王)」の記事における「称号と「ブレトワルダ」」の解説
ベーダは著書『英国民教会史』で、5世紀後半から7世紀後半にかけてハンバー川にいたるイングランド南部を統治した7人の王を列挙した。その後、この時代のもうひとつ重要な資料である『アングロサクソン年代記』はこれら7人の王を「ブレトワルダ(bretwakdas または brytenwaldas.「ブリテンの支配者」「広域の支配者」の意)」と呼び、9世紀のウェセックス王エグバートを8番目のブレトワルダに加えた。結果挙げられた8人のブレトワルダの中には、強大であったマーシア王たちが含まれていない。これは年代記の著者が単純にベーダが挙げた7人にエグバートを加えただけで、イングランドで同等の力をもった王が他にいなかったということを主張した訳ではないともみられるが、年代記の作者はほぼ間違いなく西サクソン人であり、エゼルバルドもオファもウェセックスの王ではなかったため年代記作者は祖国への思い(プライド)からこの二人への言及を避けた可能性もある。「ブレトワルダ」という言葉の意味、そして8人の王が振るった権力の性質については学問的考察が数多くなされてきた。そのひとつに、ベーダが教会史を書いたのがエゼルバルド治世中であったため、列挙された7人の王たちはハンバー川以南の支配においてエゼルバルド王権の原型とみなしうる王たちとする解釈もある。 エゼルバルドの権勢、少なくともその称号を示す資料として重要なものに、736年発行の「イスメレ勅許状 (Ismere Diploma) 」(当時の写本、あるいは原本が現存する)がある。この文書でエゼルバルドは「マーシアのみならずイングランド南部と称されるすべての地域の王」とされ、証人欄には更に"Rex Britanniae"(ブリタニアの王)との記述もある。ただしこの"Rex Britanniae"は、Bretwald (ブレトワルダ)のラテン語表現だとする歴史家もおり、当時こうした称号は、730年代の別の文書で同じような称号が使われているウスター以外では存在が認められていない。
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