称号からカバネへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 13:59 UTC 版)
成務天皇が国造や県主とともにワケを取り入れた氏姓制度を確立すると、ワケは一代限りの称号から世襲的なカバネになった。垂仁天皇以前の天皇の血筋を引く地方領主的な一族もこの時にワケを与えられたと考えられる。孝霊天皇の子孫を名乗る吉備臣や笠臣、孝元天皇系の大彦の子孫を名乗る阿部臣や膳臣、開化天皇の子孫を名乗る道守臣もワケの祖先を伝えている。ワケをカバネとした氏族は40氏を数えている。 ただし、ワケはその系列分布に片寄りが見られる。ワケは神別の天神、天孫系そして地祇系の氏族系譜にはほとんど見られない、皇別系(天皇系譜)の尊称及び姓である。しかし、皇別の中でもその分布に片寄りが見られ、蘇我氏や平群氏が属する孝元天皇系の彦太忍信系にワケは見られない。
※この「称号からカバネへ」の解説は、「ワケ」の解説の一部です。
「称号からカバネへ」を含む「ワケ」の記事については、「ワケ」の概要を参照ください。
- 称号からカバネへのページへのリンク