称号としての羽柴名字
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 14:02 UTC 版)
秀吉は、近親者以外にも羽柴の名字を与えている。最初の例は、天正10年(1582年)10月の堀秀政に対するものである。その後、旧主であった織田一族、かつて秀吉の同僚であった大名、あるいは天下統一の過程で臣従させた大名などを中心に、羽柴名字の授与が行われている。秀吉が没する直前には直臣層への授与が盛んに行われており、主従関係の強化を図ったものと見られている。 羽柴の名字名乗りは徳川家康のような大身大名から、二千石の織田信高までと幅広い。これらの羽柴名字は「家」に対してのものではなく、個人に対する称号であると考えられている。秀吉は同様に近親者以外への「豊臣朝臣」の氏姓の授与も行っている。豊臣朝臣の授与は叙位任官と同時に行われるケースが多く、多くの大名・直臣は羽柴苗字の授与を受けないまま豊臣朝臣を受けている。また羽柴の名字のみで、豊臣氏を受けていない例も少なくない。 羽柴の名字は一定程度既成事実として定着し、江戸幕府成立後も島津家久・細川忠興・池田輝政・福島正則など一部の大名がその使用を続けている。大阪の役後は、羽柴の名字を用いる家系は徐々に姿を消した。
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