地祇系とは? わかりやすく解説

地祇系

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 14:41 UTC 版)

賀茂氏」の記事における「地祇系」の解説

大鴨積命大賀茂美命大賀茂都美命)を始祖とし、三輪氏族一派属する。大鴨積命大物主神三輪明神の子または後裔大田田根子の孫で、『先代旧事本紀』によると速須佐之男命11世の孫である。大和国葛城葛上郡高鴨神社鴨都波神社葛木御歳神社付近(現・奈良県御所市)を本貫とする。 大鴨積命の地に祖神事代主神祀った鴨都波神社建てたことから、「君」(かものきみ)の姓を賜与された。なお、現在の地にある高鴨神社鴨都波神社祭神である阿遅志貴高日子根命(迦毛之大御神)や積羽八重事代主命は、鴨氏祖神であるとされている。 上古には「君」・「甘茂君」と表記し、姓は君であったが、壬申の乱功臣である鴨蝦夷賀茂蝦夷)を出し天武天皇13年684年)に「賀茂朝臣」(かものあそん)姓を賜与された。その後奈良時代から平安時代初期にかけては朝廷官人として仕え奈良時代には「高賀茂朝臣」の姓を賜与された者もいた。 『加茂氏系図』、『尊卑分脈』等には、実際に賀茂蝦夷の子である賀茂吉備麻呂吉備真備同一視しその後裔が賀茂朝臣氏であると記されているが、後世仮冒である。 平安時代中期には陰陽頭賀茂忠行賀茂保憲父子輩出し、その弟子である安倍晴明興した安倍氏並んで陰陽道宗家となり、子孫暦道伝えた賀茂忠行の子には儒学者転じた慶滋保胤、保憲の子には家学暦道継いだ賀茂光栄がいる。 室町時代には、嫡流勘解由小路家称して堂上家となり代々陰陽頭務めたが、戦国時代から江戸時代初期にかけて断絶した。なお、庶流幸徳井家江戸時代地下家として続き江戸時代初期陰陽頭務めるが、幸徳井友傳の死後安倍氏系の土御門泰福陰陽道宗家地位奪われ江戸時代中期以降陰陽寮次官にあたる陰陽助務めた。 「勘解由小路家#賀茂氏系 勘解由小路家」および「幸徳井家」も参照

※この「地祇系」の解説は、「賀茂氏」の解説の一部です。
「地祇系」を含む「賀茂氏」の記事については、「賀茂氏」の概要を参照ください。

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