地神信仰とは? わかりやすく解説

地神信仰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 05:54 UTC 版)

地神塔」の記事における「地神信仰」の解説

大地の神としての地神対す素朴な信仰太古からあり、時代経て道教仏教影響により変質した考えられている。 西日本でジノカミ(地の神)やジヌシサマ(地主様)中部地方から関東にかけてジガミ地神)と呼ばれる神は、祖霊的な性格土地神的な性格持っており、屋敷神として宅地内に祀られる関東地神講祀る地神作神農耕神)の性格持ち、春と秋の社日祀られた。社日とは春分秋分最も近い戊(つちのえ)の日であり、春は五穀豊穣祈願し、秋は収穫感謝する作神が春の社日来て秋の社日帰るという伝承もある。古代中国由来する観念日本伝わり農耕神と習合し、さらに地神信仰と習合した。 仏教において地神とは地天のことであり、十二天一つとして梵天対比される堅牢地神同一視され、その像容盛花器を棒持する二臂像である。例外的に四臂像もある。 『仏像図彙十二天地天仏像図彙諸天部の堅牢地神 徳島藩では、五神名地神塔祀る信仰が藩の主導広まった徳島城下にある富田八幡宮祠官早雲古宝が1789年寛政元年)に藩主蜂須賀治昭進言したのが始まりとされ、各浦では五角柱地神塔を奉斎し、庄屋斎主となって春秋の二回、五穀豊穣祈願した。塔の造立祭儀大江匡弼の『春秋社日醮儀』に従って行われた考えられている。 『春秋社日醮儀』の「本朝社之略図」に描かれ地神塔春秋社日醮儀』の「本朝社祭の式」に描かれ社日祭祀 中央塔中央供養塔)を祀る佐賀中央尊信仰は、天台宗の玄清法流盲僧によって広められた。地神陀羅尼王子経に依拠し大地中央にある荒神四季土用司るという思想に基づくとされている。中央塔は本来は屋敷神として北東(艮)隅または北西(乾)隅に祀られたものであり、地神祭り営まれる所を示す標石であった考えられている。 中央塔

※この「地神信仰」の解説は、「地神塔」の解説の一部です。
「地神信仰」を含む「地神塔」の記事については、「地神塔」の概要を参照ください。

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