私憤・公憤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 21:20 UTC 版)
怒り(いきどおり)のうち、自身の個人的な事柄に関するいきどおりを「私憤」と言う。それに対して、社会の悪に対して、自分の利害をこえて感じる憤りを「公憤」と言う。 例えば、ナイロンザイル事件において、家族を失った人が、その原因となったナイロン製のザイル(登山用ロープ)の開発者や製造者に怒りを抱くのはまず私憤である。だが、直接の被害者やその遺族というわけでなくて、自分が直接に被害を被っているわけでなくても、そうした不誠実な開発者や製造者という悪がこの社会に存在していて、人々を苦しめていることに対して怒りを抱くことは公憤である。同事件は後に続く消費者保護の日本における契機ともなった。 最初は被害者だけが憤っていても、やがて多くの人々が公憤に基づいて行動しはじめることはある。この社会には、もっぱら私利私欲や自分の損得勘定ばかりで行動を選ぶ人々もいるが、(幸いなことに)ものごとを自分の損得だけでは判断せず、むしろ、何が正しいか何が間違っているか、という観点に重きを置いて判断し行動している人々もいるからである。また人間には自分と立場の異なる人にも共感する能力があるおかげでもある。 例えば、森永ヒ素ミルク中毒事件では、最初は子供に障害が残ってしまった被害者がやり場のない怒りを抱いていたにとどまっていたが、やがてそうした被害を受けている人々がいることを、被害を受けていない人も知るようになり、彼らは社会でそのような悪が行われていることに対して憤りを感じるようになり、多数の人々が参加する運動となって社会を動かしていった。日本の医療でワクチンが健康被害をもたらしていた事件でも、最初は私憤にとどまってはいたがやがて公憤を感じる人が増え、社会問題として扱われるようになり、医療を変えてゆくことになった。 悪徳なことを行う企業があっても、公憤で行動する人々の人数が増えれば、広く知らせるための運動を行ったり製品の不買運動等を起こすことで企業の行動を是正させたり市場から撤退させることは可能である。また政治や行政に関しても、公憤で動く人が増えれば、選挙での投票先を変えることで、議員を変え、法律を変更させることもできる。また公憤で動く人々が革命を引き起こし悪政を行う権力者らを政権の座から直接的に引きずり下ろす、ということも様々な国で起きている。 なお大島渚は、テレビのニュース番組で「いまの日本人は怒らなすぎる。僕は怒らない日本人に怒っている」と述べたことがある。
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